Quantcast
Channel: Cafe Klassiker Hr
Viewing all 339 articles
Browse latest View live

びわ湖ホール コルンゴルト「死の都」

$
0
0
2014.3.9(日) 14:00 びわ湖ホール大ホール
出演
パウル:山本康寛*    (*びわ湖ホール声楽アンサンブル) 
マリー/マリエッタ:飯田みち代
フランク:黒田 博
ブリギッタ:池田香織
ユリエッテ:中島康子*、ルシェンヌ:小林久美子*   
ガストン:羽山晃生、フリッツ:晴 雅彦、ヴィクトリン:二塚直紀*、アルベルト伯爵:与儀 巧
びわ湖ホール声楽アンサンブル、大津児童合唱団、京都市交響楽団
指揮:沼尻竜典
演出:栗山昌良
 
このオペラ日本初の舞台上演とは驚きでした。ヨーロッパではレパートリーに入ってるし、DVDだっていくつも出ています。それに1週間も經ずして新国でも上演されるとは記念の年でもないのに不思議な偶然です。でも私にとって勿論ライブは初体験ですから、計画が発表された時から楽しみにしていました。
 
「死の都」は現実と幻想の中で生きる男の物語です。当然その現実と幻想のギャップの大きさをどう捉えるかで解釈が違ってきます。栗山さんに変わった読み替えがあるわけはなく、オーソドックスな中庸を得たというか、悪く言えば押し出しの弱い演出でした。あくまで悪く言っての話で私は肯定的に観ました。
 
舞台はタイトルから受ける印象と違って美しく、感覚的に現実に近い感じのする造りでした。1幕(3幕も同じ)はパウルの部屋、2幕の場面転換でそれが奥に下がり代わって九十九折の坂道がせり上がってくる、そして遠くに修道院。最近のオペラは基本的に全幕ひとつのセットで演じられることが多い中、これはなかなか立派で見応えがありました。
 
ただ歌手の動きはほとんどありません。特に歌ってる間は棒立ちと言ってもいいくらいです。始めのうちはどうしてと思ったのですが後になって、それはパウルの脳裏に焼き付いて動かないマリーとそれから抜け出せないパウル自身の姿を象徴しているのではないかと思い直しました。つまり現実のマリエッタや周りの人々の動きを写実的に表す意図はなかったのだと思います。だから2幕のマリエッタ一座が集まる場面などちょっと退屈な感じがします。でも考えてみればいくら一目惚れとは言え家へ招待するくらいですから、まるで正反対の人であるはずがありません。舞台上の面白みはありませんが、それがパウルの気持ちに合っているのではと思いました。
 
そんなパウルが何故人殺しを。そこが人間の弱さと愚かさです。幕切れでパウルは己の閉ざされた世界から抜け出すことを決意して部屋から出てゆきますが、その行く先は真っ暗でした。ほんとに立ち直れるのかと考えさせるような演出でした。
 
演奏も立派でした。一番の大健闘は主人公パウルの山本さん、健康上の理由でキャンセルした経種さんの代役でした。びわ湖声楽アンサンブルのメンバーですがほとんど出ずっぱり、しかも高音が命の大役です。ドタキャンでないから準備期間があったにせよ若い人でなければできないことだと思います。持ち前の美声で一生懸命さがよく伝わってきました。確かに未熟や疲れが見えるところはありましたが、幕切れのアリアを素晴らしく感動的に歌い上げました。先月のドン・カルロ山本耕平さんといい、今度のパウル山本康寛さんといい、将来有望な若い人が活躍するようになって誠に喜ばしい限りです。もうひとり、これもほとんど出ずっぱりのマリー/マリエッタ役の飯田さん。病気上がりとかで心配しましたが、声が通らないところがあったものの美しい姿で最後まで崩れずに歌い終えました。3幕でマリーの髪を振り回して踊るところがありますが、さぞ体力的にきつかったのではと察します。歌唱が上手かったのはフランクの黒田さんとブリギッタの池田さんで、二人ともパウルを心配する心優しい歌い方が素晴らしかった!  ピエロの晴さんもきちんと丁寧に歌って良かったです。そのほか合唱も含めて皆さん方よく頑張れたと思います。
 
最後に沼尻さんの指揮とオケが今回の公演で最も特徴的な成果を上げたと思います。コルンゴルトは20世紀の作曲家で映画音楽も多く手がけています。この「死の都」にもミュージカルを思わせるような親しみやすいメロディーがありますが、沼尻さんはそれをポピュラー音楽にしませんでした。ドイツ・オペラの底流にある思索的な面の構築に留意した指揮で、オケもそれによく応えた響きを出していました。
 
新国に先がけびわ湖ホールで日本初の舞台上演をした意味は大きいと思います。それも大成功で。日本のオペラ史上に残る公演に立ち会えたことを私はとても嬉しく思います。東京は行きませんがどんな舞台になるのでしょうか。
 
 

名古屋音楽大学オペラ 「ドン・ジョヴァンニ」

$
0
0
2014.3.15(土) 14:00 名古屋市芸術創造センター
出演
騎士長:松下雅人、ドン・ジョヴァンニ:吉田裕太、レポレッロ:森 拓斗
ドン・オッターヴィオ:荒川裕介、マゼット:石黒崇真
ドンナ・アンナ:内田恵美子、ドンナ・エルヴィーラ:鬼頭 愛、ツェルリーナ:五百田真実
名古屋音楽大学オペラ合唱団、オーケストラ
指揮:角田鋼亮
演出:たかべしげこ
 
とても面白いドンジョでした。このオペラは悪事を働いたものは地獄へ落ちると修身めいた結末にしていますが、実際の中身は3組の普通の異なった恋愛劇です。大体においてモーツァルトが描く人間模様は女が賢く男は阿呆(真実かも)というのが多い気がしますが、このドンジョはその典型みたいです。
 
面白かった理由のひとつはレチタティーヴォを日本語訳にしたことです。はっきりと聞こえただけでなく、打てば響くようなやりとりの間がとても上手で演劇的に良かったです。もうひとつは演出で、全く古典的でわかり易い、というより半世紀前のザルツブルクの名演(ヘルベルト・グラーフ演出)そっくりだと思いました。装飾こそ簡素になってるものの、2階建てのセット、鉄砲などの小道具から悪魔が出てドン・ジョヴァンニを連れ去る場面まで同じでした。衣装も凝っていてこの舞台はかなり費用がかかっていると思いました。(名音大だけでなく大学オペラはどこも1000円か2000円の入場料です) 舞台の創造性はともかくただ楽しく観るなら先ずわかり易さです。その点今回は満点です。
 
歌手の方々は松下先生は別格としてよく頑張られたと思います。640人のホールでは声量が問題になることはありません。歌唱は女声の方が比較的に良かったとは思いますが、皆さん歌唱力の不足は日本語や演技で充分補っていました。何より役になりきって演じていたことにとても好感を持ちました。
 
それに角田さんの指揮が良かった! 若いのに情緒があってせかせかしたところがないのが好きです。メロディーとリズムの起伏が素晴らしく私の好きなモーツァルトでした。チェンバロを弾きながらの所為か指揮棒を持つ時と持たない時がありましたがオケも歌手もよく見ていました。チェロが弦のバランスから言って倍くらい入ってましたので響きがふっくらと聞こえたのも良かったと思います。
 
絵画の模写とか書の臨書とか、過去の名品を真似る練習をよくやりますし、それを展覧することもします。オペラもそれをやったらいいのにとかねがね思っていました。大学は教育と研究の場ですから良いものを真似ることによって新しい道も拓けてくると思います。オペラも評価の確立した過去の名演(演奏演出両面)があるので、大学オペラはそれを再現する場でもよいのではと思います。いくら真似ても決してその通りにはならず個性が出てきます。(代々型を受け継ぐ歌舞伎だって同じ) 今回の大学オペラを観聴きしてそんなことを考えました。
 
 

いま視聴できるストリーミング・オペラ Medici TV

$
0
0
Medici TVが先月かなりののオペラを無料公開しました。今現在利用できるオペラ7作品をリスト・アップしておきます。無料なのはあまり人気のない公演でしょうが、ポピュラーものに飽きてきた人には却って良いかもしれません。視聴期間がマイアベーアだけはあと7日しかありませんが他は1ヶ月以上の余裕がありますので興味のある方はご覧ください。
 
①ラモー 「優雅なインドの国々」 ボルドー・ナショナル・オペラ2014
  クリストフ・ルセ(指)、ラウラ・スコッティ(演)
  見知らぬ国のラブ・ストーリーを4つ集めたもの。序幕で全裸の男女が踊るのはTVでも困ってしまう。
  
 
②Chales Wuorinenn "Brokebach Mountain"(世界初演) マドリード・レアル劇場2014
  ティトゥス・エンゲル(指)、イヴォ・ファン・ホーヴェ(演)
  ダニエル・オクリッチ(エニス)、トム・ランドル(ジャック)
  ジェラルド・モリティエの委嘱作品。男の同性愛を描いたもの。
 
③ベートーヴェン 「フィデリオ」 ベルギー・リエージュ王立劇場2014
  パオロ・アリヴァベーニ(指)、マリオ・マルトーネ(演)
  ジェニファー・ウィルソン(レオノーレ)、ゾーラン・トドロヴィッチ(フロレスタン)、フランツ・ハヴラタ(ロッコ) 
  
 
④ヤナーチェック 「イエヌーファ」 モネ劇場2014
  ルドヴィック・モロー(指)、アルヴィス・ヘルマニス(演)
  サリー・マシューズ(イエヌーファ)
 
⑤マイアベーア 「アフリカの女」 フェニーチェ歌劇場2013
  エマニュエル・ヴェローメ(指)、レオ・ムスカート(演)
  グレゴリー・クンデ(ヴァスコ・ダ・ガマ)、ジェシカ・プラット(イネス)、ヴェロニカ・シメオーニ(セリカ)、アンジェロ・ヴェキア(ネルスコ)
  ヴァスコ・ダ・ガマと彼を愛する2人の女性の話。このオペラちょっと冗長。
 
⑥サリエリ 「ダナイオスの娘たち」 ヴェルサイユ・ロイヤル・オペラハウス2013
  クリストフ・ルセ(指)
  Judith Van Wanroij (Hypermnestre), Tassis Christoyannis (Danaus), Philip Talbot (Lyncee), Katia Velletaz (Plancippe), Thomas Dolie (Pelagus)
  初夜に夫を殺すよう命令されるというギリシャ神話。コンサート形式だが音楽的には物凄い緊張感のある名演です。
 
⑦スポンティーニ 「ヴェスタの巫女」 シャンゼリゼ劇場2013
  ジェレミエ・ローラー(指)、エリック・ラカスカード(演)
  エルモネラ・ヤオ(巫女ジュリア )、アンドリュー・リチャーズ(将軍リチニオ)
 
尚、今後の予定としてフランス・リリー・オペラ「偽の女庭師」があります。  
 
URLはこちらです。
  
 
 

アンドラーシュ・シフ ピアノ・リサイタル

$
0
0
2014.3.23(日) 15:00 しらかわホール
曲目
ベートーヴェン:6つのパガテル op.126
          ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 op.111
          ディアベッリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 op.120
(アンコール)
バッハ:ゴールドベルク変奏曲 ト長調 BWV988 「アリア」イメージ 1
シューベルト:ハンガリーのメロディー ロ短調 D817
バッハ:イギリス組曲 第6番 ニ短調 BWV811
シューベルト:即興曲 変ト長調 D899-3
              変ホ長調 D899-2
ショパン:ノクターン 嬰ヘ長調 op.15-2
 
2回聴いた思いのするリサイタルでした。ベートーヴェンの32番で締めの気分になっているところ、それから難曲ティアベッリ変奏曲です。聞いたところによるとサントリーホールでは同じプログラムでアンコールがソナタ30番全曲だったそうです。それではベートーヴェンの重さに押しつぶされてしまいそうですが、名古屋では小品(それでも6曲も!)で私には良かったです。
 
アンドラーシュ・シフはベーゼンドルフを好んで使うそうですがこの日もそうでした。丸く柔らかくよく膨らむ響きは人間味のある温かい演奏を一層引き立たせます。シフの演奏は真面目で端正ですが何より情感表現の豊かさに惹かれます。アクの強い鮮烈な演奏なら1度はいいが2度目はもういいやと思ってしまいますが、シフは繰り返し聴きたいピアニストです。
 
ベートーヴェン晩年のピアノ曲のうち最後の3曲を集めるプログラムはもう2度とないでしょう。優しさと明るさに溢れた小品6つのパガテル、ベートーヴェンの人生総決算と言える崇高なソナタ32番、さまざまな様式と精神性の融合で極致に達したティアベッリ変奏曲。どれもこれもこれ以上のものは望めないシフの演奏でした。ピアノを聴いてることを忘れさせるようなベートーヴェンがそこにいるような、そんな感銘を受けました。アンコールがまた素晴らしかったです。私の大好きなシューベルトの即興曲が2つあったのは嬉しかったです。
 
どの演奏も音が切れることなくつながって滑らかで柔らかく流れる奥深い音楽がなんとも素晴らしかった。最後の音が消え去るまでのながーい余韻が特に印象的、シフが腕を下ろすまで拍手のフライングもなくホールが静まり返っていたのは最近では珍しいことでした。
 
しらかわホールの自主公演はこれで打ち切りとなり、その最後を飾るにふさわしいシフのコンサートとなりました。響きが素晴らしく良いのでこれからも多く利用されることを祈っています。
 
写真は最終発刊となった情報紙とプログラムです。

コンセルヴァトーリオ名古屋二期会 「コジ・ファン・トゥッテ」

$
0
0
2014.4.5(土) 18:00 名古屋市東文化小劇場
出演(6日も別キャストで公演あり)
フィオルディリージ:天野久美、ドラベッラ:梅澤市樹、デスピーナ:太田琴美(1幕)、石原まりあ(2幕)
フェランド:永井秀司、グリエルモ:出来秀一、ドン・アルフォンソ:能勢健司(3人とも賛助)
名古屋二期会合唱団、オペラ管弦楽団
指揮:佐藤正浩
演出:岩田達宗
イメージ 1
 
名古屋二期会研究生によるオペラ公演です。とは言っても男声はすべて賛助出演ですし、女声もすでに実績を上げられた方もいて、地域オペラとしては好演だったと思います。
 
コジは歌ってればそれなりに様になるオペラと違ってアンサンブルが重要なモーツァルトの中でも難しいオペラです。ソロ歌手6人が全て主役ですし、レチタティーヴォが多いのも退屈になりがちで、オペラを全体として面白くするのは容易でないと思います。それだけに逆にいろんな面の勉強が出来るので研究材料として格好な作品でもあります。
 
一番目についたのは演出です。舞台装置は写真で分かるように何もなし、場面によって小さい椅子やテーブル(それも屋外で使う簡単なもの)が置いてある程度です。衣装もフィオルディリージとドラベッラそれにドン・アルフォンソは終始同じ、その代わり変装するフェランドとグリエルモそれにデスピーナは見破るのが難しい程上手く化けていました。最初は単純に予算のためかと思いましたが、ここまで徹底するとそればかりではないようです。つまり作品のもつ意義を正しく表現するためにこれだけは譲れないギリギリまで削ぎ落とした結果の舞台ではないかということです。演技も然りです。死んだふりをしたり、恋人同士が抱き合ったりはしますが、動きは極めて少ないです。人目を引くためには大きな演技をするのが普通ですが、このような小ホールでは目配せだけでも分かりますから、理解するのに必要な最小限に抑えたのかもしれません。
 
字幕の「コジ・ファン・トゥッテ」の題名を「恋人たちの学校」とした解釈もきれいで納得がいきます。台詞の方でも「女はみんなこうしたもの」でなく「人間はみな同じ」とした点も真実をついているし、結婚証明書にサインする演技がないのも若い未熟な恋人たちをハッピー・エンドにするにふさわしいと思いました。(バツイチよりいいではないですか)
 
歌手の方は半分くらい聴いたことがありますが、今回のような長丁場は初めてです。まだ成長の域があるもののよく健闘されたと思います。やはり独唱の方に全力投球されたのでしょう。レチタティーヴォに滑らかさがなかったり、重唱が今一ハモらなかったりがあると感じました。6人の中では天野さんが一番安定していたかと思います。
 
合唱は10名、オケも9名で弦各1本、オーボエ、クラリネット、チェンバロと他はピアノだけでした。ピアノと木管だけが異常に大きく聞こえちょっと寂しい感じがしました。しかし佐藤さんの指揮はいつもながら音楽が自然で素晴らしいと思います。声楽科、ピアノ伴奏科を卒業後、海外一流オペラ劇場でコレペティトールや指揮アシスタントを勤めてこられたオペラ出身の指揮者です。さすがです。
 
実は会場で知ったのですがドン・アルフォンソの中野嘉章さんが降板していました。当日配布のパンフレットには代役が印刷されていましたので、それなら事前にHPなどで公表して欲しいと思います。哲学者でないユーモアのあるドン・アルフォンソが観たかったのに残念でした。尤もこの演出には彼の良さが生きてこないかもしれませんが。
 
会場はナゴヤドームの隣り。中日-巨人線とぶつかりました。行き帰りとも凄い人の中を歩きました。
 
 

アタッカ・クァルテット ミニコンサート

$
0
0
2014.4.11(金) 20:30 ダイヤモンド京都ソサエティ ラウンジ
出演イメージ 1
エイミー・シュローダー(1st Vn)
徳永慶子(2nd Vn)
ルーク・フレミング(Va)
アンドリュー・イー(Vc)
曲目
ハイドン:弦楽四重奏曲 ニ長調 「ひばり」 第1楽章
ラヴェル:弦楽四重奏曲 ヘ長調 第2楽章
チャイコフスキー:弦楽四重奏曲 第1番 第2楽章
                「アンダンテ・カンタービレ」
ドヴォルザーク:弦楽四重奏曲 第12番 「アメリカ」
(アンコール)
「花は咲く」(弦楽四重奏編曲)
 
旅行した京都の宿泊ホテルで幸運にもアタッカ・クァルテットの演奏を聴くことができました。コンサートがあるとは全く知らず偶然の巡り合わせでした。
 
アタッカ・クァルテットの名前はやくぺん先生のブログで知っていました。全員ジュリアード音楽院の出身で、昨年第7回大阪国際室内楽コンクールで優勝した若い楽団です。桜咲くこの時期に日本を訪れていて各地でコンサートを行っていました。この日はアメリカへ帰るという最終日だったそうです。どう言う縁故か知りませんが病院やホテルで無料のコンサートを開いてくれました。
 
プログラムは弦楽四重奏曲ではポピュラーなものを選んでいました。「アメリカ」を除いては1楽章づつでちょっと物足りませんが、こういう場での演奏ですからやむを得ないでしょう。
 
全く響かないラウンジのこともあり前半は大きい音も出さないので、何か意気が感じられず単調に聞こえました。しかし「アメリカ」になって一転、実に素晴らしかった! 同じ人が弾いているとは思えないリッチな響きで迫力もあり、何よりアンサンブルが堅固でジュリアードらしい演奏だと思いました。ラヴェルをフルで聴いたらさぞ良かったことでしょう。
 
いくらなんでもタダでは申し訳ないのでCDを買ってサインしてもらいました。後で知ったのですが、名古屋はよく響く宗次ホールで公演がありました。 聴き逃したことを後悔してます。
 
イメージ 2

バッハ・コレギウム・ジャパン 「マタイ受難曲」

$
0
0
2014.4.20(日) 15:00 愛知県芸術劇場コンサートホール
出演
エヴァンゲリスト/テノールⅠ:ゲルト・テュルク、  テノールⅡ:櫻田 亮
イエス/バスⅠ:ペーター・コーイ、  バスⅡ:浦野智行
ソプラノⅠ:ハンナ・モリソン、  ソプラノⅡ:松井亜希
アルトⅠ(カウンターテナー):クリント・ファン・デア・リンデ、  アルトⅡ:青木洋也
バッハ・コレギウム・ジャパン(合唱&管弦楽)
指揮:鈴木雅明
 
特別意義深い記念すべきマタイ受難曲でした。感動の度合いにおいても公演の意味合いにおいても。
 
この日はイースター。私はキリスト教徒ではありませんが、イースターにはやはりマタイやパルジファルが聴きたくなります。日本ではクリスマスは一般化してますがイースターは関心が薄いので、こういう機会に巡り会えるのは珍しいと思います。バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)はこの4月に受難節コンサートとしてマタイを5回上演しました。その中で聖金曜日の東京と共に最終日となったイースターの名古屋は特別の日です。
 
その上長い間エヴァンゲリストを歌ってきたゲルト・テュルクさんとの共演はこれが最後だそうです。BCJとは50回以上も同じ舞台に立ったということですから、もう一心同体のメンバーと言ってもいいでしょう。5年前にBCJのマタイを聴いていますが、その時のエヴァンゲリストもテュルクさんでした。
 
テュルクさんのエヴァンゲリストは別格と思います。声が柔らかくきれいなだけでなく、普通ならレティタティーヴォを歌ってしまうところですが、テュルクさんは聖書を朗読してるかのように自然に穏やかに聞こえます。ドラマなら語りに相当する役ですから、自分が飛び出してはいけないのです。かと言って物語をまとめる上で中心にならなければいけない存在です。ここのところをテュルクさんは見事にこなしていると感服いたしました。
 
今回の演奏は前回聴いた省略の多いメンデルスゾーン版でなく普通演奏される全曲版です。ソロ、合唱、オケとも2グループに分けるという編成をバロック時代に発想したとはバッハは改めて凄いと思います。BCJはこれを素晴らしく調和した形に完成しました。
 
声もオケも高音は透き通り、低音は柔らかく、全体としては渋い素朴な音に統一されていました。個別に言えばエヴァンゲリストは上に書きました。セカンドの中ではテノールの櫻田さんが一番よく通る声で良かったと思います。イエスのコーイさんは落ち着いたしかし芯の強い歌唱でしたし、浦野さんはユダ、ペトロとピラトを明らかに変えた表現をしていました。モリソンさんの清澄な声はひときわ目立ってきれいでしたし、松井さんはじめ合唱団のソプラノも皆揃って清らかなのが印象的でした。私はカウンターテナーがどうも好きになれませんが、このふたりはこれまでと違い無理なく聴けました。上手ければこうなるんだと認識した次第です。合唱はアインザッツもハーモニーもとても良く、人数の少ない割には迫力も十分でした。オケは基本的にオリジナル楽器ですが、弓は現代のを使っているように見えました。弦はノン・ヴィブラート、ただ「憐れみたまえ」のソロだけはコンミスがヴィブラートを少しかけてるようでした。(楽器のことは或いは間違ってるかも。ぜひご指摘を)
 
全体を仕切った鈴木さんの指揮は尊敬しています。BCJを世界に誇るバッハ集団に育て上げられました。マタイにはドラマティックな演奏、重厚な演奏などいろんなスタイルがありますが、鈴木さんのはそれとは違った素朴な和みを感じます。何より聴いた後の心の清々しさが宗教的で、これもひとつの立派なスタイルだと思います。
 
チェロの鈴木秀美さん、オルガンの優人さんと3人が兄弟親子というわけでもないでしょうがBCJには何か家庭的な雰囲気があります。オケのチューニングが終わった後、合唱、ソリスト、指揮者が一緒にステージに入ってきたり、カーテンコールでその3人が抱き合ったりしました。テュルクさんひとりに花束が贈られたのは当然、長年の協力に対する感謝の気持ちです。
 
マタイを聴くには大きすぎる大ホールなのに驚いたことにほぼ満席。名古屋国際音楽祭の一環なのでスポンサーの招待客が多かったと思われますが、演奏中咳払いや物音がほとんど聞こえませんでした。でもその後がいけない。演奏が終るやいなやまだ指揮者がまだ腕を下ろさないのに拍手が湧き、ブラボーまで飛び出すとは! 興奮する曲でもないのに一体どうしてなんでしょうか理解できません。
 
2週間後、今度は県芸大のヨハネです。これほど短い間にバッハの受難曲を2曲とも聴くのは初めてのことです。
 
 

狂言風オペラ2014「ドン・ジョヴァンニ」 管楽八重奏版

$
0
0
2014.4.26(土) 15:00 しらかわホール
出演
亡霊(騎士長):茂山あきら
女(エルヴィーラ):茂山宗彦
若侍(ドン・ジョヴァンニ):茂山童司
太郎(レポレッロ):茂山正邦
花婿(マゼット):野村又三郎
花嫁(ツェルリーナ):茂山 茂
ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン管楽ゾリステン
鼓:中村寿慶
脚本:小安正安
演出:茂山あきら
音楽監修:木村俊光
 
これは本当に面白かった! こんなに笑ったコンサートは初めてです。狂言風オペラがどんなものか全く予備知識なしに観たことが良かったと思います。歌がつくかどうかも知りませんでした。
 
日本の古典芸能である狂言と西洋の伝統芸術であるオペラを融合する試みは、大蔵流家元茂山一門とブレーメン管楽ゾリステンによって2002年に始まりました。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」(2002年)、「フィガロの結婚」(2006年)、「魔笛」(2009年)と順次増えただけでなく、様式も大きく進化してきたということです。そして東日本大震災の2011年は日独修好150周年記念でもあり、支援に対する感謝も込めてドイツ各地で「魔笛」が上演されました。
 
今回の公演は形の上では再演になりますが内容は全く違っているそうです。私が観たところこれはオペラではなく<オペラ「ドン・ジョヴァンニ」にもとづく狂言風音楽劇>と言った方が正確と思います。物語はドンジョと同じでも解釈を変えた新しい脚本によっています。これが実に素晴らしく良く出来ていました。
 
これから先は内容に触れますので観る予定の方はご注意ください。
 
狂言はお笑いですから真面目な役柄のドンナ・アンナとドン・オッターヴィオはここでは登場しません。その代わり騎士長が亡霊となって全ての人々を支配し芝居の進行を始めから終わりまで仕切っています。一番面白いところはキリスト教の考えを入れたオチです。亡霊が若侍を復讐にかけようと決意しますが、よく考えてみると他の人も皆大なり小なり悪いことをしている罪人ではないか。大将に言いなりの子分、煩悩を断てない女、嫉妬深い夫、そして誘惑に弱い妻。そこで亡霊は大罪人の若侍だけを地獄に落とし、他の人々には正しい道を教えて改心させることにしました。若侍の方も他の人々を救ったことになり亡霊と同じ仲間になることが出来たのです。これで各人各様それぞれ一件落着となってお仕舞です。
 
訴えたい基本線はこういうことですが役者のセリフが笑わせます。花婿が名古屋弁だったり、アドリブでスポンサーの会長名やら地元の酒グルメの名前が飛び出すなど思わず笑ってしまいました。野村さんは和泉流家元で名古屋在住ですから名古屋弁も様になってました。
 
管楽ゾリステンはオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン各2本にコントラバスが加わった9人のアンサンブルですが、歌がないのでそのアリアの部分を演奏することが多いです。だったらもっと強弱の変化とか情緒を出して欲しいとは思いますが音は上手く出していました。この奏者たちもただ演奏するだけでなく、役者の問いかけに狂言言葉で返したりお酒を飲んだり(これは嬉しかったかも)で芝居に参加してたのが楽しかったです。ただよく響くホールなので人の声だけでも聞きにくいところ、音楽と一緒になると全然聞き取れませんでした。
 
樂曲の選択はストーリーに合わせて良く編集され、上演時間がオペラの半分でも主なところは聴けるようになっています。序曲を分割してレポレッロの導入曲の前後にもってきたり、登場しないドンナ・アンナのロンドを亡霊との祝宴の曲に入れたりなど工夫されてると思いました。演奏中でも役者の演技だけは続いていて(歌手が歌いながら演技するのと同じ)、花婿花嫁のいちゃつきとか大将子分の衣装替えなど分かり易く面白かったです。
 
狂言風オペラ「フィガロの結婚」が名古屋能楽堂であった時は見逃しましたが、そちらの方が聞き易いし雰囲気も良かったのではと想像します。招待客が多いにもかかわらず6~7割しか入っていませんでした。アンサンブル・メンバーは終演後のサイン会がありましたが、楽屋から会場まで演奏しながらのサービス精神旺盛なところを見せていました。
 
大阪、名古屋、仙台、遠野、京都、東京と6回公演ですが、興味のある方は是非ご覧下さい。オペラとは思わずに全く別物として楽しむのが良いかと思います。狂言のことはわかりませんがこの舞台面白いことだけは確かです。
 

アリーナ・イブラギモヴァ 無伴奏ヴァイオリン・リサイタル

$
0
0
2014.5.3(土) 15:00 電気文化会館ザ・コンサートホール
曲目
イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Op.27 第1~6番全曲
イメージ 1
 
度肝を抜かされたイブラギモヴァのイザイでした。演奏が始まった瞬間分厚い音がホールいっぱいに拡がりました。あたかも水が一滴も残らず溢れ出したようです。トレモロの繊細さや陰影のある清い弱音に浸っていると一転して鬼女のごとく強烈なパンチを浴びます。とにかく強弱、テンポの変化が極端でアクセントも強い。これほど激しい表情を見せる演奏を聴いたことがありません。それが表面的でないのがまた凄いと思いました。
 
イブラギモヴァはロシア生まれのまだ20代、妖精と宣伝されています。2005年来日した時はあどけない少女の感じがしましたが、今は可愛いけれど少なくとも音楽ではそんな感じは全くしません。イギリスで勉強しているし活動も西欧が中心ですが、ロシア的性向(土俗的強さ、感情の激しさ)が残っているかもしれません。容姿からは想像できない音楽です。何かゲルギエフに通ずるところがあるように感じました。
 
第1番から番号順に演奏しました。譜面台には各楽章ごとに1枚に貼り合わせた楽譜を置いていましたが見てる様子はないみたいでした。安心材料かもしれません。私は構成ががっちりした1番よりむしろ3番以降(特に4、5番)の方が面白く聴けて好きでしたが、今度は違いました。始めの1番の驚きがあまりにも強烈だったのです。演奏は変わってないと思いますが、後半は耳が慣れたせいか印象が薄くなったように感じます。イザイは同じ時に6つ作曲したものの順番に演奏することは考えてなかったのではと思います。最後に最大の効果を出すプログラミングからは適当でないかもしれませんが、番号順に演奏することにチクルスの意味がよりあるのは確かと思います。
 
イブラギモヴァは昨年も来日しベートーヴェンのソナタ全曲を演奏しています。全曲演奏に力を入れてるようでこの12月にもバッハの無伴奏全曲演奏を予定しています。どんなバッハになるか大いに期待しています。
 
珍しいことに男性客が圧倒的に多かったです。でも客席は90%埋まっていました。曲目が多少マニアックだったかしら、真剣に聴いてる雰囲気で拍手のフライングも一切ありませんでした。サイン会にはかなりの人が並んでいました。「これまで聴いた最高のイザイ」と言ったら嬉しそうに満面の笑みを返してくれました。この時は妖精の面影がありました。
 
 

J.S.バッハ・ムジークカペッレ 「ヨハネ受難曲」

$
0
0
2014.5.6(火) 15:00 しらかわホール
出演
エヴァンゲリスト:大久保 亮
イエス:林 隆史
ピラト:末吉利行
バリトン:初鹿野 剛、アルト:三輪陽子 ほか
BMK-Chor(バッハ・ムジークカペッレ合唱団)、三ケ峯バッハアンサンブル
指揮:小林道夫
 
BMKは愛知県立芸術大学バッハ研究会として発足してから10年になります。県芸大の教員学生と地域の人によって結成され毎年講演・演奏会を開いています。最近は小林道夫が指揮をとり、一昨年マタイ受難曲、昨年ロ短調ミサ曲と続いて今年はヨハネ受難曲です。
 
素晴らしいヨハネ! この演奏で一番印象が深かったのは小林先生の指揮です。80才を超えてるとは思えない若い姿で表情豊かに細かい指示を出しておられました。テンポはゆったり目で起伏がありそして深い思い入れが感じられます。でも神々しいというのでなく、人間の側に立った素直な気持ちがよく出ていたと思います。民衆の叫びは外向的に激しく、コラールは内向的に清らかに歌っていました。
 
ソリストではエヴァンゲリストの大久保さんにびっくりです! この人学生時代から聴いてますがよくもこんなに成長されたものと思いました。はじめこそ緊張したか不安定なところがありましたが、後半はそれはそれは素晴らしい歌唱でした。私の考えではちょっと語り過ぎと思うほど抑揚をつけて上手く聴かせてくれました。カーテンコールでは小林先生が大久保さんを労って一人だけ握手をしてました。林さんもどっしりとした落ち着いたイエスで素晴らしかった! 主役2人を20代の若手が立派にこなしたのは頼もしい限りです。将来期待したいと思います。ふたりを盛り上げた方々、末吉先生のピラトも威厳があってよかったです。また他のソリストも健闘され、中でも三輪さんと初鹿野さんは別格でした。1曲だけの登場でじっと待機するのも大変だったでしょう。
 
合唱はソプラノがハモった声でよく飛んできました。全体的にバランスがちょっと悪い気がしますが後半、磔刑の迫力とフィナーレは感動的でした。オケは先生方が核になった編成でしたがフルートとオーボエに今ひとつ表情が加わればと思いました。
 
という次第ではじめはちょっと調子に乗れないところがあったものの、後半第2部は素晴らしく感銘を受けました。
 
余談ですが新約聖書には4つの福音書があります。バッハは4つすべてを作曲したとも言われています。それはともかく同じことを伝えているのにバッハは何故2つも書く必要があったのでしょうか。私たちはお蔭で2作を聴くことが出来て幸いですが不思議に思います。それともう一つ、ユダとペテロは同じくイエスを裏切ったのに、ペテロだけが敬われているのが納得いきません。日本的には後悔して命を絶ったユダの方が潔いと思うのですが。受難曲を2つ続けて聴いたのでこんなことを想ってしまいました。
 
 

第16回別府アルゲリッチ音楽祭 室内楽コンサート

$
0
0
2014.5.10(土) 16:00 ビーコンプラザ・フィルハーモニアホール(別府)
曲目と出演者
モーツァルト:ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 K.478イメージ 1
         マルタ・アルゲリッチ(p)、川久保賜紀(vl)
         川本嘉子(vla)、遠藤真理(c)
ストランビンスキー:兵士の物語
         清水高師(vl)、谷口拓史(b)、金子平(cl)
         福士マリ子(fg)、只友佑季(tr)、今村岳志(tb)
         安江佐和子(pc)、シモーネ・マンクーゾ(指揮)
         アニー・デュトワ(語り)、オアド・タルマー(語り)
シューマン:ピアノ五重奏曲 変ホ長調 Op.44
                   清水高師、上記モーツアルト奏者
 
 
初めてのアルゲリッチ音楽祭、今年一押しのプログラムを聴いてきました。アルゲリッチの演奏曲目が発表されたのは1ヶ月くらい前だったでしょうか。ちょっと気を揉みましたがこうして眺めてみるとバラエティに富んで魅力的だと思います。
 
開場5分前に到着しましたが広いロビーには既に多くの人が集まっていました。ドレッシーな女性が多く、いつものコンサートとは違う感じがしました。揃いのTシャツを着たボランティアが甲斐甲斐しく動いているし、可愛い女児までドレスで迎えてくれます。大都会では見られない良い意味の地方色が出ています。ホールに入ると客席は半円形でとても見やすく、ステージ縁には花が飾られ室内楽には大き過ぎる空間の殺風景を和らげています。
 
イメージ 3
イメージ 2
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
モーツァルトは全体として雰囲気がおとなしい美しい演奏でした。アルゲリッチは透明な音で抑揚がありましたが、弦の方が何かアルゲリッチに遠慮してるような感じでした。川久保、遠藤のおふたりはアルゲリッチと初共演だそうでそんなことも影響したのかもしれません。昔の室内楽は一人のリーダーが引っ張るようなスタイルが多かったように思いますが(例えば弦楽四重奏で第1ヴァイオリンが目立つような)、 今はすべてが対等に主張し合うのが普通のようです。シューマンではこれが一変して素晴らしい演奏になりました。超有名なソリスト達が集まるとよく取り上げられる曲ですが、それぞれのパートが活躍するように出来ているせいもあると思います。各人が自己をぶっつけ合うような迫力のある演奏でした。アルゲリッチ自身もモーツァルトよりこの方が合ってるように思いました。苦手だったシューマンでもこれだけはすぐに入っていけた曲ですが、久々に若い頃を思い出しました。
 
さてアルゲリッチが休んでいる間の「兵士の物語」ですが、これはすごかった! 1人(ヴァイオリン)を除いてサイトウキネンで取り上げた時のメンバーですから上手いのも当たり前です。語りのアニー・デュトワは名前から容易に想像できるようにシャルル・デュトワとアルゲリッチの娘さんです。背が高くスリムで容姿も身のこなしも父親そっくりでした。もう1人の語りと指揮者もアニーと共に文学とクラシックを融合するノマド アンサンブルを結成し活動してる仲間だそうです。まあアルゲリッチが場を提供したといえばそうなんでしょうがこの音楽祭はアルゲリッチでもってるから不思議ではありません。ただ語りはともかく兵士と悪魔の演技はやはり俳優にはなれませんでした。しかし演奏の上手いこと! 中でも金子さん(クラリネット)と安江さん(パーカッション)は一際鮮やかでした。演技が入った分通常より10分以上長くかかりましたが、アルゲリッチも客席に現れて盛んに拍手を送っていました。やはり親バカですね。
 
カーテンコールではミス別府がすべての出演者に一人一人花束を渡していたのも地方の音楽祭らしかったです。3時間に亘る長いコンサートを十分堪能させてもらいました。ここはガードが固く楽屋口の出待ちはできませんが、それでも熱心なファン(それも遠方から来てる人)が遠くの暗いところから声を掛けるとアルゲリッチは手を振って応えていました。
 
もう訪れることは出来ないアルゲリッチ音楽祭と思いますので大変良い思い出になりました。

別府 温泉とグルメの旅

$
0
0
名古屋・大分のフライトは朝夕1日2便しかない。アルゲリッチ音楽祭に行くのですが丸2日滞在するので空いた時間に近くを見てきました。
 
実は学生時代もう50年も前のことですが別府に泊まり周辺を観光したことがあります。よくは覚えていませんが、地獄巡り、臼杵の石仏、青の洞門(菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の舞台)を廻った記憶があります。出来たら行ったことがないところが良いので滝廉太郎の生まれた竹田を訪れてみたかったのです。ところが調べてみると意外に時間がかかってしまいます。思い立ったら即の若い頃と違い忙しい行動は無理です。そこで別府でも昔やってないことをすることにしました。全部の地獄と歴史的共同浴場を廻ること、それにグルメ探訪です。
イメージ 1
 
前にも1~2の地獄は訪れています。今回は全部の地獄を廻るため手っ取り早く観光バスを使いました。別府の観光バスは日本で初めて女性バスガイドを同乗させたところだそうです。昔は七五調でやったそうですがそれではよく分からなくなってしまうので今は普通の言葉です。全部で8ヶ所ありましたが代表的なところの写真を載せます。(上から血の池地獄、海地獄、鬼石坊主地獄です。)
 
イメージ 2
この地獄巡りで一番面白いところは噴出湯が地獄ごとに赤、青、白、透明と異なった色をしていることです。地下深くのマグマから出たガスが地表まで出てくる間の経路によって違った化学変化を起こすからですが、それが僅か徒歩数十分の狭いエリアで見られることが珍しいです。
 
この後観光バスは明礬温泉に寄るのでそこで下車して湯の花小屋などを散策してきました。ここは江戸時代のミョウバン産地ですが、今はもっぱら入浴剤「湯の花」を製造しています。茅や藁をイメージ 3いた小屋が点在し硫黄の臭が漂っています。製造に使ってる小屋は見学できませんが、1ヶ所中に入れる展示小屋がありました。見せる目的で造ったものですから実物より若干小さいように見えました。
イメージ 4
 
場所を移しながら造るので
隣が空いている
 
 
 
この明礬温泉には鎌倉時代にできたという地蔵泉があります。殺菌性の強い湯で現地の人に聞いたら湯量が減って現在使用できないと言うことでした。もう一つ鶴寿泉、これが開かれたのは江戸時代のことです。小さな湯屋で内は2畳ほどの脱衣所と2m四方の浴槽があるだけです。シャワーなど勿論ない昔の姿そのものです。近くのホテルはモダンな浴室を備えていますが風情を求めてわざわざ入りに来る客もいると話していました。ただ凄く熱くて(43度)万全の準備をしても一瞬胸まで浸かっただけで飛び出しました。無料ですが入口の地蔵さんに気持ちを奉納するのが良いようです。
イメージ 5
 
熱いのはここだけではありません。市内にある竹瓦温泉も同じでした。明治12年に開設された共同浴場で、建物は昭和13年に建て替えられたものですが登録文化財に指定されています。玄関を入ると広間になって歓談休憩できるようになってます。ただ浴槽は上述の鶴寿泉の倍くらいでそんなに大きくはありません。43度の表示があり湯船に入ったという実績を作っただけでした。ここは入浴料100円。
 
イメージ 6
最近改装あるいは建設されたところは熱湯とぬるま湯の両方があるそうです。帰り際別府駅で1時間ほど時間があったので駅前温泉に入りました。ここは大正年に建てられた大正浪漫漂う外装です。ここで初めて首まで浸かることができました。2つの浴槽とも熱かったので水で埋めましたが。料金がまちまちなのはどうしてか分かりませんがここは200円。2階は宿泊部屋で昔の湯治場の名残でしょうか。
 
勿論泊まったホテルもかけ流しでしたから朝晩楽しみました。イメージ 7
結局5回入ったことになりますが体を癒すというより見物要素の強い体験でした。でも面白かったです。
 
最後はB級グルメのこと。芸術的盛り付けはないが味が勝負のB級グルメです。名物料理とは材料とか調理法がその地方独特のものを指すと思いますが、大分県の名物料理はりゅうきゅう丼(琉球丼ではないそうです)、とり天、だんご汁と案内書に出ています。豊後水道で漁れる関アジ、関サバが全国的に有名ですが、この活き造りとなるとホテル代と同じくらいの値段です。B級グルメにこういう高級魚は使わないと思いますが、鮮度の良い魚はいくらもあるはずです。りゅうきゅう丼は刺身を醤油漬けにしてご飯にのせたものです。味付けに工夫してるとは思いますがマグロ丼に似ています。とり天は鶏肉に衣をつけて揚げたもので何で名物なのか分かりません。まただんご汁は小麦粉の平たい麺と野菜の入った味噌仕立ての豚汁みたいなものです。不規則な麺の形状が特徴ですが、似たものは全国にあると思います。要するに3つとも大分でよく食べられる家庭料理ということです。それを名物と称して宣伝してるだけだと思いました。大分県民のためにことわっておきますが、どれもリーズナブルな値段で(500~1000円)美味しかったことは事実です。
 
50年前と比較するとGDPは10倍になってます。それだけに静かな自然の中にあった(ような気がする)地獄の池が売店の中にあったり、名物もどこにいても食べられるようになりました。平均化されるメリットはありますが、特異性が減って旅行の面白さも減ってきてると言えます。だから思い出の土地を再訪すると大抵こんなじゃなかったのにとがっかりすることが多いです。
 
音楽祭は満足でしたが観光では共同浴場の探訪が一番面白かった旅行でした。
 
 

Sonostream.TVライブ スウェーデン マルメ・オペラ 「ばらの騎士」

$
0
0
2014.5.17(土) 2:00(JST) SonostreamTV
出演
マルシャリン:シャルロッタ・ラーソン
オクタヴィアン:ドロチア・ラング
ゾフィー:ゾフィー・アスプルンド
オックス男爵:ルニ・ブラッタベルク ほか
マルメ・オペラ合唱団、管弦楽団
指揮:レイフ・ゼーゲルスタム
演出:ドミトリ・ベルトマン
 
「ばらの騎士」はオーソドックスな演出以外に良いと思ったものがない。Sonostreamウェブに風船がいっぱいぶら下がったけばけばしい写真が載ってたのでどんなかと興味が湧きました。普段なら深夜はパスですが今回好きなオペラなので眠いのを堪えて観ました。
 
予期に反してまともな演出でした。読み替えはなく演出の意図がよく掴めたような気がします。確かに衣装は黄色原色とか草間彌生ばりの赤い水玉デザインが混じったりしていますし、メイクもサッカーのサポーター並みにペイントを施した人がいます。ところが一方でマルシャリンなどは古風でスタンダードな格好をしています。これらの人々が伝統的なセットの中で演じるわけです。と言うことは登場人物を2グループに分け、現在の環境から飛び出している人とその中に留まらなければいけないと思ってる人を色分けしているのだと思います。オックス男爵や使用人は前者ですし、マルシャリンやオクタヴィアンは後者です。ゾフィーと父親はその中間と言えるでしょう。
 
もう一つ特徴の風船とか水玉模様はうたかたを表しています。つまりそれは夢なのです。フィナーレで風船が窄んでいく中マルシャリンが一人になる場面は印象的で、夢を追うのでなく現状にとどまらなければならないことを上手く表していると思いました。
 
ただ全体としてパントマイムが何か取ってつけたようですし衣装がチグハグな感じを与えてしまうのが惜しいですが、分かり易いと思います。
 
ソリストは水準以上ですが私の印象に残るような人はいませんでした。ラーソンはリリコ・スピントと思いますが、マルシャリン役はしっとり感が大事ですからその点ちょっと強すぎると感じました。ゾフィーはもっと軽さが欲しいと思います。ラングはズボン役に適したスタイルが良いですがあどけなさがあったらという感じです。要するに3人とも同じように歌ってる感じでした。オックス男爵はちょっと声が出てなかったですが演技が上手かったです。
 
ゼーゲルスタムはウィーンでトリイゾを聴いてから注目していて今回観たいと思った理由の一つです。オケのせいもあるかもしれませんがちょっとドライで硬い感じを受けてしまいました。
 
日本人には夏時間の習慣がないので気をつけてるつもりでも時々へまをやります。ウィーンでも1度本番を失敗してますが、今回もPCを入れたら既に1幕が半分以上進んでいました。だからテノール独唱は聴いていません。それと回線が混んでいたようで何度も途切れてしまいました。この程度の感想が書ける程度には観られましたからまあ辛抱しなければいけません。
 
 
(オン・デマンドで観た後の追記)
ベッドシーンではマルシャリンの相手に黙役を使っています。その黙役がフィナーレで風船の中に入って窄んでいきます。またマルシャリンもオクタヴィアンも頬にペイントしてましたから浮ついた時と真当な時で変えています。そうするとゾフィーもこのグループに入りますね。結果的には発想は面白くても記憶にずっと残るような舞台ではありませんでした。
 
 

菊池裕介 ピアノ・リサイタル

$
0
0
2014.5.18(日) 14:00 A PIACERE in 豊田
曲目イメージ 1
ショパン:ポロネーズ 第7番 変イ長調 「幻想」
ラヴェル:鏡
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第21番 変ロ長調
(アンコール)
ムソログスキー:展覧会の絵
 
これは聴きたくなるプログラムです。ショパン晩年の傑作とシューベルトの遺作という2つの内省的な曲の間にラヴェルのキラキラした描写音楽が挟み込まれています。それが全て私の好みだから堪りません。
 
70~80人のサロンホールですが菊池さんのピアノはそれを感じさせないスケールの大きい音がしました。弱音を出すのが難しいホールなのに静かに響いて強音との対比が凄かったです。
 
ショパンの作品では珍しく何か深刻さを感ずる「幻想」ですがこれが一番良かったと思います。音楽の作りがしっかりしていてしかも情緒を漂わせた演奏でした。寂しさと憂いを吹き飛ばすかのように強打する最後の1音が印象に残っています。ラヴェルは第4曲の<道化師の朝の歌>が有名ですが、私にとっては自然を描いた第1~3曲の方が人の動きや心情を扱った第4~5曲より好きです。でも菊池さんは後者の方が得意のようです。光がキラキラ反射するような部分は羽毛の軽さがあればもっと良かったと思います。最後にシューベルト21番はプログラムにあれば大抵出かけるほど惹かれる曲です。ベートーヴェンのソナタと同じくシューベルトの総決算となる曲はよく考え抜かれた演奏だったと思います。ただ上手いことは上手いのですが若さが出てしまいました。熟考は大事ですがそれを感じさせない自然さもこの曲ではもっと大事だと思います。気負とか考え過ぎがちょっと気になりましたが、今の段階ではやむを得ないことかと思います。
 
アンコールで演奏された「展覧会の絵」、まさか全曲とは思いませんでした。メイン・プログラムに据える曲ですよ! こんなことは初めてでした。お蔭で(?)あまり集中できませんでしたが力強いフィナーレでした。
 
時間的には2時間半少々ですからそんなに長くはないのですが、聴いた感覚としては凄くヘヴィーでした。プログラム自身だけでなく、菊池さんの読みが深い構成力の堅固さと演奏の緊張感が伝わってきたせいと思います。この上ない充実のコンサートでした。
 
同じプログラムの東京リサイタルがあります。6月1日(日) 14:00 東京オペラシティー・リサイタルホールです。興味を持たれた方は是非お聴きください。
 
 

グラインドボーン音楽祭「ばらの騎士」~歌手はルックスで評価されるのか?

$
0
0
イギリスで大騒ぎになってるようです。事の起こりはグラインドボーン音楽祭「ばらの騎士」で批評家がある歌手の体型を貶したことに始まります。
 
今年はリヒャルト・シュトラウス生誕150年記念に当たります。第80回になる今年のグラインドボーン音楽祭は5月17日に「ばらの騎士」で開幕しました。このオペラは3人の女声のための作品と言ってよいからそこに関心が向くのは当然です。しかしどうしたことか批評家の目が女性歌手の容姿に集まってしまいました。それがイギリスを代表する新聞5紙に載ったというから驚きです。
 
問題の歌手はオクタヴィアンを演じた若いタラ・エロートです。日本人の感覚からすればそれほどかけ離れてるとは思いませんが、人権問題になりかねない侮辱的表現が見られます。
 
フィナンシャルタイムス「丸ぽちゃの太った子犬」、インディペンダント「ダンプ娘」、ガーディアン「ずんぐりむっくり」、タイムズ「見苦しく魅力がない」、テレグラフ「ずんぐり」の如くです。ただ批評家の原文にはこの言葉が出てるものとそうでないものがあり私は事実をすべて確認してるわけではありません。またマスコミの弊害として全体を見ず一部分だけをピックアップしてる可能性もあります。私は概要記事から書いています。それはこちらです。
 
これに反発してアリス・クートは公開書簡を出しています。オペラが他の劇芸術と根本的に違うのは人間の声だから容姿のことばかりに言及して歌手(特に若くて素晴らしい声の持ち主)を殺さないで欲しいと叫んでいます。こちらです。
 
またジェニファー・ジョンストンも彼女の声とオーディアンスを感動させる劇的な感情移入を賞賛しています。その上歌手は公正で前向きな批評は受け入れるが、個人的な容姿を批判するのは許されないと抗議しています。こちらです。
http://www.theguardian.com/music/musicblog/2014/may/19/jennifer-johnston-rosenkavalier-glyndebourne-critics-remarks-row                                                             
 
一般のツイッターも盛り上がっているのでこのまま自然消滅とはいかないでしょう。一体オペラに俳優の格好良さを求めるようになったのは何時からでしょうか。昔は完全に音楽の一分野と考えていたのでルックスが話題になることはなかったと思います。それが変わってきたのは2つの要因があるように思います。ひとつはテレビです。オペラハウスにカメラが入るようになって家にいながらオペラが観られるようになりました。アップで映し出されると観てる方はやはり綺麗な方が良いと思うのは成り行きと思います。(演ずる方は特に女性はナーヴァスになるそうです) もうひとつは演出にあります。作品の読み替え、置き換えが普通になった現在、オペラが演出優位になって歌唱よりそちらに注意が向くようになりました。批評も音楽より演出に多くをさいています。
 
オペラの特異性が声にあることは分かりますが一方で観る側としてはよりドラマに入り込める方が良いと思うでしょう。だから歌手にとってルックスが役柄に相応しいのとそうとは言えないものがあってもおかしくないと思います。例えば可愛いお嬢さん役に巨漢の人が合わないとか。勿論世の中には巨漢のお嬢さんがいなくはないと思うのですが、見た目にそれと分かった方が良いではありませんか。
 
役柄に合う合わないと合わないからといって歌手の容姿を批判するのは全く別のことです。上記の言葉は役柄に合わないことを表現するにしても常識を逸脱し不適当を超えて中傷に当たると思います。紳士の国イギリスが愚かなことをしでかしました。
 
追記
主なキャストは
マルシャリン:ケート・ロイヤル
オクタヴィアン:タラ・エロート
ゾフィー:テオドラ・ゲオルギュー
オックス:ラルス・ヴォルト
ロンドン・フィルハーモニー
指揮:ロビン・ティッチアティ(Robin Ticciati)
演出:リチャード・ジョーンズ

新国立劇場 リヒャルト・シュトラウス 「アラベッラ」

$
0
0
2014.5.31(土) 14:00 新国立劇場オペラパレス
出演イメージ 1
ヴァルトナー伯爵:妻屋秀和*
アデライデ:竹本節子*
アラベッラ:アンナ・ガブラー
ズデンカ:アニヤ=ニーナ・バーマン
マンドリカ:ヴォルフガング・コッホ
マッテオ:マルティン・ニーヴァル
エレメル伯爵:望月哲也*
ドミニク伯爵:萩原潤*
ラモラル伯爵:大久保光哉
フィアッカミッリ:安井陽子
カルタ占い:与田朝子*
新国立劇場合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:ベルトラン・ド・ビリー
演出:フィリップ・アルロー
 
演出、歌手、演技、オケ、どれをとっても上手く、全てにわたってバランスのとれた好演でした。でも今ひとつぐっとこないのは?
 
「ばらの騎士」程でないが「アラベッラ」も好きなオペラの一つです。2010年プレミエの再演で、4人の外国人主役は異なりますが脇を固める日本人は多くがその時と同じです。(*印) 主役と指揮者が変われば音楽的にかなり印象が違ったのではと想像します。
 
演出は時代こそ置き換えていますが読替えは一切していません。だからどう見せるかだけに絞られています。舞台中央に長い階段のあるホテルのロビー。全幕ブルー系に統一され衣装に赤と白が混じるくらいです。森英恵のデザインも目を引きますので見た目にはとても美しい舞台です。ステージを目一杯使った人の動きもよく考えられていますし、身振りも大きく見せるようにしています。歌手はほとんど階段の前で演じますから、オケに負けることなく唱いやすかったと思います。そのために階段にいるマッテオに背を向けて話しかけるという不自然なことが起きますが。まあ小さいことはさて置き、観て美しく何の抵抗もなく楽しませてくれる演出です。
 
歌手の皆さん方は外国人日本人の区別なく優劣つけがたい程の出来栄えだったと思います。さすがにヴォルフガング・コッホは声、表現力とも一歩抜きん出ていましたが、他は歌唱の長短を別にすれば似たりよったりだと思いました。ということは日本人の活躍が予想以上に素晴らしく、中でも安井陽子と望月哲也の熱唱ぶりが目に留まりました。合唱は出番が少ないですがいつもの如く申し分なしですし、オケも無難に上手くこなしていました。
 
なのに満足度が十分とはいきませんでした。その理由はどこにあるでしょうか? この日は4回目の公演ですし急な暑さで気が緩んだのかもしれません。ベルトラン・ド・ビリーはペーター・シュナイダー(若手ではアダム・フィッシャーも)と同じくオペラ指揮者で、自己を主張するよりも全体をまとめ上げることに気を遣う人だと思います。こういう人は歌手オケが全員参加で自発的に力を発揮すると凄いことが起きます。しかしそうでないと案外熱気とか真剣さの薄いダレた感じを与えてしまうことがあるように思います。
 
それとブルーがシュトラウスの豊麗な音楽と合うでしょうか? 音楽家は知りませんが一般に耳よりも眼から入る感覚の方が強いと思います。クールな色彩がウィーンの華やかな雰囲気を帳消しにしてしまったような気がしました。(クリムトの絵を飾ったぐらいでは効果なしです。)
 
この日はローマ歌劇場のシモンと重なったのでかなりの空席がありました。休憩時間のロビーの混雑もカーテンコールもいつもより静かでした。でも外へ出ると人人人で新宿で帰りを急ぐのですが思うように歩けません。やっとのことで弁当を仕入れ新幹線に乗りました。日帰りはやはりキツかったです。
 
 

BSO streamingTV ツィンマーマン「軍人たち」

$
0
0
2014.6.1(日) 2:00(JST) バイエルン国立歌劇場ライブ・ストリーミング
出演
ヴェーゼナー:クリストフ・シュテフィンガー
マリー:バーバラ・ハニガン
シャルロッテ:オッカ・フォン・デア・ダメラウ
シュトルツィウス:ミヒャエル・ナギー
シュトルツィウスの母:ハイケ・グレーツィンガー
デポルト:ダニエル・ブレンナ
マリ大尉:ヴォルフガンク・ネヴェルラ
伯爵夫人:ニコラ・ベラー・カルボン  ほか多数
バイエルン国立管弦楽団
指揮:キリル・ペトレンコ
演出:アンドレアス・クリーゲンブルク
 
日本向け再送信の方を観ましたが時間を間違えてPCを入れた時にはもう1幕が終わりかけていました。登場人物が多いので誰が誰だか分かるのにちょっと時間がかかりました。
 
「軍人たち」は若杉時代の新国とかザルツブルク音楽祭で話題になった現代オペラです。初演が1965年ですから今年が丁度50年目に当たります。決して親しみ易くはありませんが確かに凄いオペラということがよく分かりました。
 
ステージ奥が十字型につながった3層のコンパートメントになっています。主に演ずるのはその前の舞台ですがコンパートメントの中でも何かパントマイム的な演技をしてます。いくつかの大きな紙芝居の前で芝居を観てる感じです。これは非現実的な観念劇として創っていることを思わせます。BSO提供の写真はこちらです。
 
ストーリーは兵士たちに次々と弄ばれて娼婦に転落していく女の話です。面白くはありませんがそれによって何かを訴えたいのだと思います。それだけに新しい解釈を加味した演出の意味もあるのです。
 
主人公はマリーなのに何故タイトルがその他大勢の軍人たちなんでしょうか? これはマリーが消極的であるにせよ自らの意志でなく、抗し切れずに身を任せざるを得ない何か大きな力が背景にあることを示しています。ドイツのナチや戦前の日本の軍国主義の例を挙げるまでもなく分かると思います。つまりこのオペラは非人間的残忍な行動を起こさせる大きな力を非難しているのだと思います。こう考えるとますます「ルル」と同じではないかと思えてきます。
 
フィアンセのシュトルツィウスが誘惑したデポルトを毒殺し自らも毒を飲んで死ぬ場面は台本通りです。しかしマリーが狂女にされたり、その上マリーは姉シャルロッテに、そして彼女に夢中になったマリ大尉も母親に刺殺されてしまうと解釈しています。これで生き残ったのはその他大勢の体制派だけになり、そうせざるを得ない背後の組織が余計恐ろしく感じられます。因みに姉シャルロッテは実質母親替わりですからマリ大尉の母親ともども、母親とは最後の最後まで子供を支配したいのですね。
 
音楽は不協和音の連続、それも限界まで高音を要求しています。歌手は歌うというより叫んでる感じでした。特に3幕、女声の重唱は驚きの大迫力で、バーバラ、オッカ、ニコラの3人は本当に凄かったです! それにオケが大編成というだけでなく電子音なども使っています。フィナーレの太鼓連打はPAをフルに使った割れんばかりの音で震撼の恐怖を覚えました。指揮者はバイロイトのリングを振ったキリル・ペトレンコ。細部まで気を使ったスケールの大きな演奏はここでも如何なく発揮されゾクゾクしてきました。やはり大物指揮者と再認識しましたし、これからのバイエルンはますます充実した演奏が期待できそうです。
 
とにかく強烈なショックを受けたオペラでした。ライブはどんなだったんでしょう。気になります。
 
 

METライブビューイング ロッシーニ「チェネントラ」

$
0
0
2014.6.6(金) 10:00 名古屋ミッドランドシネマ
出演
チェネントラ:ジョイス・ディドナート
王子:ファン・ディエゴ・フローレス
ドン・マニフィコ:アレッサンドロ・コルベッリ
ダンディーニ:ピエトロ・スパニョーリ
アリドーロ:ルカ・ピザローニ
クロリンダ:ラシェル・ダーキン
ティスベ:パトリシア・リスリー
メトロポリタン合唱団、管弦楽団
指揮:ファビオ・ルイージ
演出:チェーザレ・リエーヴィ
 
映像を観るならスターばかりのMETが一番です。歌手の表情がカメラを通してよく分かり、ライブではこうはいきません。テレビやDVDはよく観ますがライブビューイングに行くことは極めて少ないです。というのも私は映画館の音とスクリーンのあまりの大きさに馴染めないからです。
 
METライブビューイングはこれが3回目でしょうか。今回は現地の方やライブビューイングを観た日本の方のブログで大変評判が良いと聞き今シーズン最後の演目「チェネントラ」を観てきました。ファン・ディエゴ・フローレスは今私が一番聴きたいテナーですし、ジョイス・ディドナートは今回限りでこの役を降りると知っては逃すわけにいきません。最終上映日に行ってきました。
 
何も言うことなしの舞台でした。歌唱、演技とも主役二人は言うに及ばず脇を固める5人共々、すべてがこれほど息のあった公演は珍しいと思います。喜劇とくにロッシーニは歌唱だけではどうにもなりません。そこにコミックな演技が加わってはじめて面白くなりますし、それも一人ではダメで相手との打てば響くようなかけ合いがなくてはなりません。この公演は正にそれが実現した最高の舞台でした。
 
タイトルロールのディドナートはロッシーニ歌手として不動の地位を確立したメゾです。その美しい声を楽々と転がす技は見事という他ありません。真面目で素直な中に芯の強さを感じさせるチェネントラでした。容姿も素朴なきれいさがあって役柄にとっても合っていたと思います。フローレスはいつもながらハイCを完璧に聴かせてくれました。幕の途中で拍手が止まず舞台に戻ってきたのには驚きました。こんなことがあるのですね。好青年だった彼も40を超え、アップで写すとおじさんぽっく見えるようになりました。彼はまだこの役を続けるそうですが早く日本へ来て欲しいと思います。
 
ドン・マニフィコをもう長い間歌ってるコルベッリは貪欲な義父役を上手く演じていました。歌唱も上手いし容姿も役柄にふさわしいですが、60を超えて軽快に動けるところが役者だと思いました。姉妹役のダーキンとリスリー、この2人のお笑い芸人振りにはびっくりです。インタビューで言ってましたが毎回アドリブで違ってくるそうで、本当によく動きこの日はソファーから落ちるハプニング(?)も起きて、それ程までに役になりきっています。スパニョーリとピザローニの偽者振りにも思わず笑ってしまいました。
 
これ程上手くまとめ上げたファビオ・ルイージも立派と思います。この演目初めて振ったそうです。やや音量もテンポも落として歌手たちが自主性を発揮できるように配慮していたと思います。ややもするとピョンピョン跳ねて突っ走るみたいな指揮をする人がいますが、それでは歌手が必死についてゆくだけになってしまいます。インタビューでもこのオペラは控えるのが肝心と自ら語っていました。これに出演者が見事に応えて気持ちが一つになり理想的な好演になったと思います。
 
演出は正統的ではあるが豪華さのない控えめな舞台で、これも歌手たちに目が向いて良かったと思います。それより新発見はデボラ・ヴォイトの司会者ぶり。ワーグナーのヘヴィーな役を歌う彼女が意外にもアナウンサーみたいにテキパキとつぼを得た進行役ができるとは驚きでした。
 
このメンバーで日本公演をやってくれたら5万円も高くはないと思います。でもこれ夢の話ですね。せめてフローレスとディドナートは早く来い来いと叫びたいです。
 
 

アルド・チッコリーニ ピアノ・リサイタル

$
0
0
2014.6.15(日) 17:00 豊田市コンサートホール
曲目
ブラームス:4つのバラード 作品10
グリーグ:ピアノ・ソナタ ホ短調 作品7
ボロディン:小組曲
カステルヌオーヴォ=テデスコ:ピエディグロッタ 1924 ナポリ狂詩曲
(アンコール)
エルガー:愛のあいさつ
グラナドス/アンダルーサ:スペイン舞曲 第5番
 
アルド・チッコリーニはナポリ生まれでフランス帰化、今年89歳。フルトヴェングラーやモントゥーと共演したというから時代が違うピアニストです。何人かの仲間から是非聴くべしとアドヴァイスされ行ってきました。
 
猫背のおじいさんが杖をついてヨボヨボとステージに現れました。椅子の背に手をついてゆっくりお辞儀した時、これでピアノが弾けるかと思ったくらいでした。いざ弾き始めるとシャンとして演奏は円熟した味わい深いものでした。
 
チッコリーニはナポリ音楽院出身でいわゆるナポリ奏法の巨匠です。頭を動かさず(ということは上体を動かさず)腕だけで流れるように弾きます。音をブツブツ切らずに歌うように弾くのが特徴と言われますが、それにチッコリーニの年輪が加わって、外向的に見せかけの全く無い、内向的にしっとりと優しく美しい情緒を備えています。今のピアニストならもっとスマートに演奏すると思います。
 
最初のブラームスは21歳の作なのにいかにも渋く老熟の感がする曲です。チッコリーニはゆったりしたテンポ(のように聞こえた)で音を切らずふっくらと長く響かせていました。悪く言えばボケた感じですが、2番、4番は良かったと思いました。拍手を入れる間もなくそのままグリーグに入りました。この曲グリーグ自身の録音があるのが奇跡です。(YouTubeに出ています。http://www.youtube.com/watch?v=eLJJ3MtsNZY ) 極めてノイズの多い録音ながら普通に弾いてるように感じます。この曲は2楽章が美しいですがソナタにしては起承転結がなく私にはよく分かりません。(私が聴く耳を持ち合わせていないだけですが) それはともかく同じ感じが続いてるようで正直なところちょっと退屈しました。
 
休憩を挟んで後半は印象が違ってきました 。何か靄が晴れたようで、柔らかいのは同じでも清らかな感じがしました。演奏が終るや否や間髪を入れず拍手した人がいてそれに応えて立ち上がりましたが本当はそのまま次曲を続けたかったのではないでしょうか。最後の曲は初めてでしたがとても聴きやすかったです。若く生き生きした感じの演奏でした。カステルヌーヴォ=テデスコもナポリ生まれですから親近感が強いのでしょう。キラキラ光る華やかな曲でその中にジャズっぽいところや<モルダウ>を思い起こさせるフレーズがあってとても面白かったです。
 
プログラムの中では最初と最後が特に印象に残りましたが、チッコリーニの一番の良さが出たのはアンコールの<愛のあいさつ>でした。ヴァイオリンのように滑らかな起伏のある情緒的演奏でピアノであることを忘れさせる感銘を受けました。
 
熱心なチッコリーニのファンが遠くから来ていたようで、アンコールを終えてバイバイするチッコリーニにスタンディング・オベイションを贈っていました。音楽はテクニックでないことを改めて知らされた心に滲みるコンサートでした。
 
 

ブラームス&シューベルト リート・デュオ・コンサート

$
0
0
2014.6.28(土) 15:30 あげつまクリニック 別館Novalium
出演
揚妻広隆(バリトン)、松山優香(ピアノ)
曲目
シューベルト:
「ウィルヘルム・マイスター修業時代」よりD478  竪琴弾きの歌Ⅰ Ⅱ Ⅲ
ギリシャの神々D667b、水の上で歌うD774、恋人の近くD162、ガニュメートD544、憩いなき愛D138
君こそは憩いD776、春の想いD686b
ブラームス:
エオリアン・ハープに寄する歌Op.19-5、5月の夜Op.43-2、セレナーデOp.106-1
何と喜びに満ちた私の女王よOp.32-9、君の青い瞳Op.59-8、僕の恋は緑色Op.63-5
永遠の愛Op.43-1、ひばりの歌Op.70-2、夜は静かにOp.57-8、野にひとりいてOp.86-2
歌の調べのようにOp.105-1、私達は逍遥したOp.96-2、(アンコール)子守唄
イメージ 1
 
揚妻&松山デュオコンサートが始まって3年になります。シューベルト、シューマンに続いて今回はブラームスが加わりました。
 
揚妻さんはクリニック院長として毎日診療に忙しい中で演奏活動も続けています。若い頃は(今も若いが)宗教音楽のソリストとして舞台によく出ていましたが、さすが今は時間がなく、最も得意なシューベルトを中心にリサイタルを開いています。松山さんは日本では多くないようですが主に欧州で活躍の著名な伴奏ピアニストです。そもそも二人の出会いは松山さんが河野克典、クリストフ・ゼークラー(シュトゥットガルト専属バリトン)のリサイタルでこのホールを訪れたのがきっかけです。それ以来東京と豊田でデュオコンサートを開いています。
 
揚妻さんの声は柔らかく温かい人間味があるので心底の感情を表現するリートに向いてると思います。ドラマチックでないから逆に訴えかけるものが強いように思います。ご本人はシューベルト、特に「冬の旅」が最も好きとおっしゃって松山さんとのデュオは東京で10年続ける予定だそうです。
 
寂しい中に慰めのある「冬の旅」は、若い頃の作品でも渋く、喜びの中にも憂いがあるブラームスとどこか似ています。シューベルト、シューマン、ブラームスはロマン派の中で人の一生を表してるみたいで、つまりシューベルトの純粋さ、シューマンの情熱、ブラームスの諦観と大雑把に言えばそんな色合いがあると思います。揚妻さんは初めてブラームスに挑戦されたそうですが、その所為か特に意気込みが感じられました。「冬の旅」はバリトンが良いですが、ソプラノかテノールの方が良いと思うシューベルトよりもむしろブラームスの方が良かったと思います。
 
今回は新築サロンの披露演奏会となりました。若干広く天井も高くなって響きも素晴らしい木のホールです。ピアノもヴェーゼンドルファからシュタインウェイに変わって聴き易くなりました。響きの良い小さなホールでの伴奏としてはシュタインウェイの音の方がクリアーで良いと思いました。松山さんも弾きやすかったようです。
 
最後にプログラミンもよく考えられてると思いました。小品を集めたものながらシューベルト、ブラームスとも前、中、後段で変化を持たせ退屈することがありませんでした。私がシューマンがちょっと苦手ということもあり前回聴いたシューマンより素晴らしい演奏でした。
 
 
Viewing all 339 articles
Browse latest View live