2014.3.9(日) 14:00 びわ湖ホール大ホール
出演
パウル:山本康寛* (*びわ湖ホール声楽アンサンブル)
マリー/マリエッタ:飯田みち代
フランク:黒田 博
ブリギッタ:池田香織
ユリエッテ:中島康子*、ルシェンヌ:小林久美子*
ガストン:羽山晃生、フリッツ:晴 雅彦、ヴィクトリン:二塚直紀*、アルベルト伯爵:与儀 巧
びわ湖ホール声楽アンサンブル、大津児童合唱団、京都市交響楽団
指揮:沼尻竜典
演出:栗山昌良
このオペラ日本初の舞台上演とは驚きでした。ヨーロッパではレパートリーに入ってるし、DVDだっていくつも出ています。それに1週間も經ずして新国でも上演されるとは記念の年でもないのに不思議な偶然です。でも私にとって勿論ライブは初体験ですから、計画が発表された時から楽しみにしていました。
「死の都」は現実と幻想の中で生きる男の物語です。当然その現実と幻想のギャップの大きさをどう捉えるかで解釈が違ってきます。栗山さんに変わった読み替えがあるわけはなく、オーソドックスな中庸を得たというか、悪く言えば押し出しの弱い演出でした。あくまで悪く言っての話で私は肯定的に観ました。
舞台はタイトルから受ける印象と違って美しく、感覚的に現実に近い感じのする造りでした。1幕(3幕も同じ)はパウルの部屋、2幕の場面転換でそれが奥に下がり代わって九十九折の坂道がせり上がってくる、そして遠くに修道院。最近のオペラは基本的に全幕ひとつのセットで演じられることが多い中、これはなかなか立派で見応えがありました。
ただ歌手の動きはほとんどありません。特に歌ってる間は棒立ちと言ってもいいくらいです。始めのうちはどうしてと思ったのですが後になって、それはパウルの脳裏に焼き付いて動かないマリーとそれから抜け出せないパウル自身の姿を象徴しているのではないかと思い直しました。つまり現実のマリエッタや周りの人々の動きを写実的に表す意図はなかったのだと思います。だから2幕のマリエッタ一座が集まる場面などちょっと退屈な感じがします。でも考えてみればいくら一目惚れとは言え家へ招待するくらいですから、まるで正反対の人であるはずがありません。舞台上の面白みはありませんが、それがパウルの気持ちに合っているのではと思いました。
そんなパウルが何故人殺しを。そこが人間の弱さと愚かさです。幕切れでパウルは己の閉ざされた世界から抜け出すことを決意して部屋から出てゆきますが、その行く先は真っ暗でした。ほんとに立ち直れるのかと考えさせるような演出でした。
演奏も立派でした。一番の大健闘は主人公パウルの山本さん、健康上の理由でキャンセルした経種さんの代役でした。びわ湖声楽アンサンブルのメンバーですがほとんど出ずっぱり、しかも高音が命の大役です。ドタキャンでないから準備期間があったにせよ若い人でなければできないことだと思います。持ち前の美声で一生懸命さがよく伝わってきました。確かに未熟や疲れが見えるところはありましたが、幕切れのアリアを素晴らしく感動的に歌い上げました。先月のドン・カルロ山本耕平さんといい、今度のパウル山本康寛さんといい、将来有望な若い人が活躍するようになって誠に喜ばしい限りです。もうひとり、これもほとんど出ずっぱりのマリー/マリエッタ役の飯田さん。病気上がりとかで心配しましたが、声が通らないところがあったものの美しい姿で最後まで崩れずに歌い終えました。3幕でマリーの髪を振り回して踊るところがありますが、さぞ体力的にきつかったのではと察します。歌唱が上手かったのはフランクの黒田さんとブリギッタの池田さんで、二人ともパウルを心配する心優しい歌い方が素晴らしかった! ピエロの晴さんもきちんと丁寧に歌って良かったです。そのほか合唱も含めて皆さん方よく頑張れたと思います。
最後に沼尻さんの指揮とオケが今回の公演で最も特徴的な成果を上げたと思います。コルンゴルトは20世紀の作曲家で映画音楽も多く手がけています。この「死の都」にもミュージカルを思わせるような親しみやすいメロディーがありますが、沼尻さんはそれをポピュラー音楽にしませんでした。ドイツ・オペラの底流にある思索的な面の構築に留意した指揮で、オケもそれによく応えた響きを出していました。
新国に先がけびわ湖ホールで日本初の舞台上演をした意味は大きいと思います。それも大成功で。日本のオペラ史上に残る公演に立ち会えたことを私はとても嬉しく思います。東京は行きませんがどんな舞台になるのでしょうか。