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豊田市ジュニアOBオーケストラ 定期演奏会

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2014.8.17(日) 14:00 豊田市コンサートホール
 
指揮:林 俊昭
曲目
グリーク:ホルベルク組曲 Op.40
チャイコフスキー:ロココの主題による変奏曲(チェロ:森山涼介)
ハイドン:交響曲第83番 ト短調 Hob.I:83 「めんどり」
(アンコール)
チャイコフスキー:「フィレンツェの思い出」第3&4楽章
 
地元のジュニアオケ出身者が集まったプロアマ混合オケ。地元を離れている人が多く、中にはプロとして活躍してる人もいるので一堂に会するのはなかなか難しい。そんなことで毎年盆休みを利用して演奏会を開いています。
 
同じくらいの長さの曲が3つ、どれも美しいメロディーで気楽に聴けるプログラムです。しかし逆に聴く人をうならせるのは難しいと思います。心地よいので眠くなるのです。
 
弦楽合奏のホルベルク組曲。アマオケがよく取り上げますが、上手く合わせることに気が行ってしまってもう少しメリハリが欲しいと思いました。続いてチェロに都響の森さんを迎えてのロココ変奏曲。彼もジュニアオケ出身者ですがさすがによく鳴っていました。休憩後のハイドンは第1楽章が生き生きしてとても良かったです。それより格段に素晴らしかったのがアンコールの「フィレンツェの思い出」。もう一度弦楽合奏で今度はヴァイオリン、ヴィオラが立って弾きました。これが同じオケかと思うほど打って変わって各人がソリストになったように若く元気な音を出していました。ここまで仕上げれば立派なものです。
 
アンコールに先立って林先生から説明がありました。実は先生とこのオケは今年3月にクレモナの音楽院コンサートに招待されて演奏したそうです。この度再度訪問することになりこのアンコール曲を演奏するとのことでした。そういうことなら気合も入るというものです。3月のコンサートはYouTubeに出ておりますので是非ご覧ください。この日のアンコールの素晴らしさが想像できると思います。
 
曲目はドヴォルザークの弦楽セレナーデOp.22
2014.3.30(日) クレモナ ヴァイオリン博物館ホール
指揮は同じ林先生です。
 
 

MediciTV ザルツブルク音楽祭 シューベルト 「フィエラブラス」

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2014.8.25 ザルツブルク モーツァルト・ハウスのライブ録音
出演
フィエラブラス:ミヒャエル・シャーデ
フロリンダ:ドロテア・レシュマン
ローラン:マルクス・ウェルバ
エンマ:ユリア・クライスター
エギンハルト:ベンジャミン・ベルンハイム
フランク国王:ゲオルク・ザッペンフェルト
マラゴン:マリー・クロード・シャピュイ  ほか
アンゲリカ・プロコップ ウィーン・フィル・アカデミー
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮:インゴ・メッツマッハ
演出:ペーター・シュタイン
 
シューベルトのオペラをTVではありますが初めて観ました。歌曲王でありながらオペラとなると今日ほとんど演奏されません。「フィエラブラス」も日本では恐らく取り上げられたことないし、海外でも極めて稀だと思います。CDはアバドのものが1枚あるだけです。(Youtubeに出ていました)
 
物語はフランク王国とサラセンの戦いが舞台で、それぞれ敵味方にある2組の恋人が主役です。タイトルロールのフィエラブラスはサラセンの王子でかってはフランクの王女(エンマ)と恋仲だったが、エンマは今フランクの騎士(エギンハルト)を愛している。またサラセンの王女(フロリンダ)はフランクの騎士(ローラン)と愛し合っている。ここでフィエラブラスはエギンハルトのために身を引き、後に王を殺そうとしたエギンハルトを抑えて父を助ける。最後は2組の結婚が成立し、めでたしめでたしとなるのですが、フィエラブラスは人のために働いて自分は何も得ていないのです。王子(いずれ国王)の物分りの良さ、身分の違うものの結婚を認める寛容、騎士の友情とか恩義の精神、一言で言えば開明的君主論みたいなものがテーマになっています。台詞が多いのも合わせてモーツァルトの「皇帝ティトスの慈悲」とか「後宮よりの誘拐」と似ています。
 
骨格はこうだと思うのですが3幕オペラとして物語の展開に起承転結が乏しく個々の出来事が並んでるだけのように見えます。これもあまり注目されない一因ではないかと思います。
 
シューベルトの音楽も良いところがあるけれども台本のせいか3時間は長いなぁと感じます。歌曲を連想するメロディーが多い一方でベートーヴェンやロッシーニだったりしてシューベルらしい美しさがまとまってないように思います。
 
演出は白黒モノトーンだが伝統的なものです。戦いの派手な立ち回り場面もなくひたすら音楽を聴かせるスタイルでした。統一感があって良いのですが、地味に過ぎ見た目もきれいではありません。せめて明暗にもっと変化をつければと感じました。
 
マイナーなオペラなのに歌手の方は素晴らしい人が揃っています。ムーア人を演じたシャーデとレシュマンは褐色のドーラン化粧で誰かわかりませんでした。無論二人の歌唱は素晴らしく、国王のゼッペンュルトも貫禄十分でした。新しく聴いた人ではクライスター、34歳の若さで清潔な声と容姿も美しくお嬢さん役にはぴったりです。シャピュイも実に上手いし、ベルハイムもウェルバもちょっと印象が薄いが好演でした。
 
最も共感したのが指揮者メッツマッハです。フレーズのニュアンスのつけ方が微妙で極めて明確なメリハリがあって素晴らしいと思いました。それに応えるウィーン・フィルあってのことですが。
 
「フィエラブラス」自体はあまり良く出来た作品とは思いませんが、それはともかく最上の演奏で聴けたことがとても良かったです。メッツマッハは10月新日本フィルに登場し、シャピュイも一緒で荘厳ミサ曲を演奏します。東京に出かける予定なので大いに楽しみです。
 
 
 

鴫原奈美&山本康寛 デュオ・リサイタル

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2014.9.3(水) 19:00 豊田市コンサートホール
驚愕のソプラノとハイCの競演
出演
鴫原奈美(しぎはら ソプラノ)、山本康寛(テノール)、甚目裕夫(はだめ ピアノ)
曲目
ドニゼッティ:「連隊の娘」より<ああ友よ! 今日はなんと楽しい日>(T
プッチーニ:「トゥーランドット」より<氷のような姫君>(S)
ザンドナイ:最後のバラ、 セレナータ(S)
山田耕筰:からたちの花(T)
武満徹:小さな空(T)
カタラーニ:「ワリー」より<遠いところへ>(S)
ビゼー:「真珠取り」より<耳に残るは君の歌声>(T)
プッチーニ:「ラ・ボエーム」より<冷たい手を(T)~私の名はミミ(S)~おお、麗しの乙女(愛の二重唱)>
(アンコール)
映画「ニューシネマパラダイス」より(T)
   「君の名は」(S)
 
豊田市コンサートホールの1コイン、通常の半分の時間のコンサートです。びわ湖ホール「死の都」で経種さんの代役を務めた山本さんが出演とあって出掛けました。
 
鴫原さんは東京音大首席卒業、イタリアのマリア・カラス国際コンクール特別賞、リッカルド・ザンドナイ国際コンクール第2位で現在ヴェローナ在住。一方山本さんは京都芸大卒業、日本音楽コンクール第2位で現在びわ湖ホール声楽アンサンブルのソロ登録メンバー。二人とも32歳で将来を期待されてる新進気鋭の若手です。
 
当日初めて会場でプログラムを知り驚きました。いきなりハイCの披露です。真央ちゃんが最初にトリプリアクスルを跳ぶようなものです。早くホールに入り発声準備をしたと思われますが、山本さんの調子は万全ではなかったようです。あの長丁場のびわ湖ホールの方がよく頑張ったという気がします。ハイCは乗り切ったものの全体的には不安が残りました。しかし声を抑えた武満の「小さな空」で細やかな詩情と綺麗な声が生きてたと思います。
 
鴫原さんは初めて聴きましたが素晴らしいです。甚目さんがザンドナイで審査員をした時に知って今回呼び寄せたそうです。美声の部類には属さないが表現力が素晴らしいと思います。オペラ舞台を見てみたいと思いました。
 
クラシック本流の二人ではありますがアンコールはなんと映画音楽で、“か~るくクラシック”にふさわしい締めでした。
 
 

WebTV 2014夏の音楽祭オペラ巡り

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例年夏休みはコンサートに出掛けることがほとんどなく、特に今年は少ないです。この間WebTVのライブが中心になるのですが今年は良いものが沢山ありました。既に記事にしたのもありますが全体を総括しておきます。(*は記事にしたものです)
 
バイロイト音楽祭(BR-Klassik)
①「タンホイザー」* (指)コーバー、(演)バウムガルテン、Tケール、Cニールント、Yクヮンチュル、Mアイへ、Mブリート
 2011制作、醸造工場が舞台。精神と肉体の葛藤を描いているだけで深みがない。音楽は立派。
 
ザルツブルク音楽祭(MediciTV)
②「ドン・ジョヴァンニ」* (指)エッシェンバッハ、(演)べヒトルフ、Iダルカンジェロ、Lピッサローニ
 時代場所を置き換えた演出で女声に若手を抜擢した好演。
③「イル・トロヴァトーレ」* (指)ガッティ、(演)ヘルマニス、Aネトレプコ、Fメリ、Pドミンゴ、Mルシュー
 物語を伝説とし美術館を舞台にした新鮮な発想。指揮、歌手、オケも申し分なしで稀に見る素晴らしい公演!
④「ばらの騎士」 (指)ウェルザー・メスト、(演)クプファー、Kストヤノヴァ、Sコッホ、Gグライスベック、Aエレート
 ちょっと暗いが普通の演出。TVで大写しされると歌手が役柄に合ってない感じ。3幕が良かった。
⑤「フィエラブラス」*  (指)メッツバッハ、(演)スタイン、Jクライスター、Dレッシュマン、Mシャピュイ、Mシェーデ、Gツェッペンフェルト
 極めて珍しいシューベルトのオペラ。ちょっと冗長の感があるが最上の演奏で初体験でした。
 
ミュンヘンオペラフェスティバル(BSO-TV)
⑥「オルフェオ」 (指)ボールトン、(演)ベッシュ、Cゲルハーヘル
 ゲルハーヘルの独り舞台。モンテヴェルディがいけないわけではないが他に流して欲しい演目がいくらもあるのにと思う。
 
オランジュ音楽祭(FranceTV)
⑦「オテロ」* (指)ミュンフン、(演)デュフォー、Rアラーニャ、Iムーラ
 ミュンフンのドラマティックな指揮とアラーニャの迫真の熱演
 
ヴェルビエ音楽祭(MediciTV)
⑧「ファウストの劫罰」* (指)デュトワ、Cカストロヌーヴォ、Wホワイト、Rドノーゼ
 劇的音楽ではあるが感情表現がオペラ的でなかった。
⑨「フィデリオ」 (指)ミンコフスキー、Iブリンバーグ、Bジョヴァノヴィッチ、Eニキーチン
 さすがオペラ指揮者ミンコフスキーはデュトワより上手い。
⑩「外套」 (指)ハーディング、Lガッロ、Bフリットり、Tアランカム、Eセメンチュク
  「ドン・カルロ」(3&4幕) (指)ハーディング、Vグリゴーロ、Lハラタニアン、Dバルチェローナ、Lガッロ、Iダルカンジェロ、Mペトレンコ
 ハーディングの指揮と歌手の競い合いが素晴らしい。32歳アランカムの声、グリゴーロ全身全霊の歌唱、ハラタニアンの綺麗な声が特に印象に残りました。ヴェルビエではこれがベスト。
 
グラインドボーン音楽祭(FranceTV)
⑪「椿姫」* (指)エルダー、(演)ケアーンス、Vギマディエヴァ、Mファビーノ
 30代ギマディエヴァの容姿と清純な声、20代ファビーノの甘い声のコンビですがすがしい好演。幕間の社交的雰囲気も分かって良かった。
 
ヴェローナ野外音楽祭(NHK)
⑫「カルメン」 (指)ナナシ、(演)ゼフィレッリ、Eセメンチュク、Iルング、Cヴェントレ、Cアルヴァレス
 「アイーダ」と共にアレーナでやるにふさわしい「カルメン」の華やかな舞台。闘牛士の登場で手拍子が起こるのはいかにもヴェローナらしい。
 
 
ヨーロッパの音楽祭は年間のシーズン公演がないところで行われるのが普通です。(例外はミュンヘン)ですから通常のオペラ公演とは違った雰囲気を持っています。格式高い社交の場もあれば観光ついでというのもあります。しかし間違いなく言えることはオペラの質はどこも高いことです。しかし好き嫌いは勿論ありますし判断も全く自己偏見でそれを踏まえた上でまとめてみます。
 
まず総合的に見て最も良かったのがザルツブルクのトロヴァトーレ。極端な読み替えもなく、それでいて伝統的とは全く異なった斬新な発想。話は出鱈目だが音楽は最高という認識を一挙に覆した将来忘れられない公演でした。
 
観る楽しさを満喫させてくれたのはやはりヴェローナの野外音楽祭。陽が完全に落ちてからの舞台の美しさは一般観光客にも受けること間違いなしです。数万人も入るバカでかい会場でその場で音楽を聴くには適しませんがテレビならその問題もありません。
 
じっくり音楽を聴くならヴェルビエ音楽祭も良い。昔は音楽家が自分たちの休暇がてらにリゾート地に集まり失礼ながら片手間にアカデミーをやってると思ったこともありましたが、それは間違いで超一級のスターもアカデミーのオケも音楽に真剣で熱意の籠った素晴らしい演奏をしています。特にハーディングの指揮と歌手が競い合ったの熱演には感動しました。
 
その他気づいたことは驚くなかれ20代30代の若い人達がこのような大舞台に沢山出ていることです。主催者の商業主義と観る側の層の薄さがあって日本のオペラはまだ未熟だと痛感します。
 
次に演出問題です。一般観光客も念頭に入れたかシーズン公演で見られる理解に苦しむような読み替えはありませんでした。ある時期オペラの実験場みたいな感があったザルツブルクも随分おとなしくなったと思います。中には素晴らしい演出もありますが、概して細かい部分での解釈とか表現法の工夫にとどまり新鮮さに乏しいと思うのは欲張ったことでしょうか。
 
今年のバイロイトは公演の前に演出家のレクチャーがあったそうです。これ自身悪いことではないが、逆にそれを聞かないと理解できないというのも考えものです。近年のバイロイトで賞賛される演出がひとつもないというのは大問題だと思います。ワーグナーが25年もかけて完成させたリングを1年かそこらで舞台に載せることがどだい無謀だと私は思います。次のリング新制作は2020年でティーレマンが指揮予定とのこと。もう今からスタートして欲しいものです。その前に今年ザルツブルク音楽祭「トロヴァトーレ」の演出家ヘルマニスが2018年「ローエングリン」の新制作を担当することになっています。指揮はティーレマン、エルザがネトレプコということで大いに期待しましょう。
 
主たる夏の音楽祭は概ねWebで廻ることができました。目星いところで抜けているのはエクサン・プロヴァンスですが、これは去年Medici とARTEが流してくれました。あとロッシーニ・オペラ・フェスティバルROPですが、ラジオ放送はあってもテレビはないみたいです。イタリアRaiTVであってもよさそうにに思います。ご存知の方お教えください。
 
 
(追記)
hasetan様から下記の指摘がございました。調査怠慢申し訳ございません。
 
 

新国立劇場2014-15開幕公演 「パルジファル」

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2014.10.2(木) 16:00 新国立劇場オペラパレス
出演
アムファルタス:エギルス・シリンス
ティトゥレル:長谷川 顯
グルネマンツ:ジョン・トムリンソン
パルジファル:クリスティアン・フランツ
クリングゾル:ロバート・ボーク
クンドリー:エヴェリン・ヘルリツィウス
聖杯騎士1:村上公太、2:北川辰彦
小姓1:九嶋香奈枝、2:国光ともこ、3:鈴木 准、4:小原啓楼
花の乙女たち1:三宅理恵、鵜木絵里、小野美咲、2:針生美智子、小林沙羅、増田弥生
アルトソロ:池田香織
新国立劇場合唱団、東京フィルハーモニー交響楽団
指揮:飯守泰次郎
演出:ハリー・クプファー
 
飯守泰次郎芸術監督の初仕事はここでの初上演となる「パルジファル」。最高のワーグナー指揮者とバイロイト歌手を聴かない手はありません。それに演出はワーグナーで幾多の経験がある長老クプファーですから興味津々です。
 
結論を先に言うと日本ではまずお目にかかれない素晴らしい「パルジファル」でした。
 
まず演出ですが余分なものを極力剥ぎ取った簡潔抽象的で綺麗な舞台です。新国の舞台機構をフルに活用した大掛かりな装置ですが、その分演技は細やかなところがありました。舞台上には稲妻が光ったように奥に向かって延びるジグザグの長い演台と剣先形状をした大きなクレーンの2つしかありません。それ以外のところは真っ黒で何も見えません。すでに動画や写真が新国HPに公開されていますのでご覧になるとよく分かると思います。
 
ここから内容に触れますのでご覧になる方はご注意ください。
ワーグナーはもともと中身が哲学的ですが中でも「パルジファル」は謎めいています。ワーグナー研究家によれば「パルジファル」は他の作品と違って結論を言わないのが特徴だそうです。確かに台詞には「時間が空間になる」という有名なのがありますが、アインシュタインの相対性理論を先取りしてるかのようで、ものは見方によって変わりひとつでないことを表しています。ワーグナーはキリスト教に疑問を抱き晩年仏教に関心があったことはよく知られていますが、クプファーはそこに着目しました。この作品に出てくる人物はパルジファルだけでなく皆罪に悩み救いを求めています。ジグザグの舞台はその長い苦悩の道のりであり、槍のクレーンは罪の元凶を象徴しています。
 
前奏曲では3人の僧侶が默役で出てきます。フィナーレでその僧侶がパルジファルに法衣を着せるとパルジファルはそれを裂いてグルネマンツとクンドリーに与え自らは僧のいる方に歩いていきます。そしてキリスト教の聖杯と聖槍はクレーンに載せられ奥へ引っ込んでいくのです。パルジファルの「汚れなき愚者」とは固定観念にとらわれることなく白紙の状態でものを見ることができる者のことです。そのパルジファルによってキリスト教で救われなかったものが仏教で救われたことを表現しています。日本だからよいけれど西洋の人が観たらどう思うでしょうか。
 
面白かったのは花の乙女が舞台に現れず声だけで代わって踊り子が悩殺的な脚技を披露してくれました。歌手にとっても歌唱に集中できてよかったのではと思いました。
 
一番の注目はやはり歌手陣です。5人の外国人はフランツを除いて新国初登場です。私はバイロイトでブリュンヒルデのヘルリツィウス、ハーゲンのトムリンソン、それにジークフリートのフランツ(新国でも)を聴いています。ヘルリツィウスはその時より磨きがかかっていました。彼女はスリムなのにクンドリーとかエレクトラのように過激で個性のある役をやったら天下一品です。2幕パルジファルに対する誘惑と激怒の対比など歌唱も演技も実に迫真的です。フランツは以前の印象より歌い方が大人しくなったと思いますが声は相変わらず素晴らしいです。トムリンソンは歳食ったと感じました。しかしグルネマンツは年齢的にも近いと思われかえって円熟味があって良かったです。初めて聴いたシリンスもボークも文句なしです。これだけ素晴らしいキャストが揃って聴けるのはそうはありません。日本人も出番は少ないですが負けずに頑張っていました。特に花の乙女のアンサンブルがきれいでした。
 
飯守さんの指揮は誇張してガンガン鳴らすことをせず作品のもつ深い精神的骨格を大事にした演奏と思いました。そういう点で1幕の行進曲など迫力不足と感じた人もいるかもしれません。また2幕パルジファルが口づけで悟る部分は叫ぶというよりむしろ内省的に聴こえました。新国自慢のよくハモる合唱も人数がちょっと少ないように感じたのはやはり同じ意図だったのでしょうか。クプファーの演出も感情的でないからよくマッチしていたと思います。オケは出だしハラハラしたところがありましたが次第にまとまり満足すべき演奏だったと思います。
 
「パルジファル」は1幕のあと拍手しないのが普通ですが今回カーテンコールがありました。クプファーも飯守さんも宗教でなく哲学の観点で考えているのでしょう。しかし私は理由はともあれ拍手しない慣習があってもいいと思いますが。
 
バイロイトと同じく4時開演、休憩時間が短いので終演は10時少し前でした。それから出待ちしたのですが新制作の初日はパーティーがあるとかでなかなか出てきません。それでも20人以上の人が最後まで残っていました。一人でいくつもサインを要求する人がいるのはどうかと思いますが、12時近いのに誰も嫌な顔せずにこやかに応じていました。朝家を出て終電近くはさすがにぐったり。こんな無理はもうしません。
 
サインは飯守さんを中心に左上から反時計回りにトムリンソン、フランツ、シリンス、ボーク、ヘルリツィウスです。
 
 
イメージ 1
 
 
 
 

新日本フィルハーモニー定期公演  荘厳ミサ曲

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2014.10.3(金) 19:00 すみだトリフォニーホール
曲目
ツィンマーマン:管弦楽のスケッチ「静寂と反転」 (日本初演)
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス ニ長調 op.123
出演
ソプラノ:スザンネ・ベルンハルト
メゾ・ソプラノ:マリー=クロード・シャピュイ
テノール:マクシミリアン・シュミット
バス:トーマス・タックル
栗友会合唱団、新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:インゴ・メッツマッハー
 
現代と古典の組み合わせだが1作品のように続けて演奏しました。荘厳ミサ曲は第9と共にベートーヴェン晩年の大作ですが第9に比べ演奏機会は桁違いに少ない。ミサ曲とは言え極めて交響的で教会で演奏されることがほとんどありませんから尚更です。私も生で聴くのは何十年振りのことです。
 
インゴ・メッツマッハーはドイツ生まれでティーレマンとは同年代、しかし人気は彼に一歩譲っています。その理由の一つに彼が現代音楽に熱心なことがあるかもしれません。でもティーレマンとは違った良い演奏をする指揮者と思います。
 
メッツマッハーが昨年9月新日本フィルの"Conductor in Residence"(どうして日本語で言わないの)に就任してからツィンマーマンとベートーヴェンを組み合わせたプログラムに取り組んでいます。二人の作曲家にどんなつながりがあるか全く知りませんが(多分何もないかも)現代音楽を聴いてもらうには現実的に良い方法です。
 
「静寂と反転」は弱音フレーズが微妙な変化で反復するだけのようです。まるで死を目前にしてただ待ってるだけみたいです。曲が終わると(つまり死が訪れると)間を置かずミサ曲が始まります。全く性格が違う曲なのに、ひとつの作品として続けても序奏に思えて雰囲気的にとても良かったです。
 
メッツマッハーの指揮は強弱テンポの設定に明確なメリハリがあり、構成力がしっかりし、極めてシンフォニックです。ホールの響きの良さもあってダレたところがありません。ソリスト、合唱、オケともバランスが取れたふくよかで良い音を出していました。特にメゾのシャピュイ、テノールのシュミット、コンマス崔さんのソロヴァイオリンが美しかったです。
 
このホール音響はいいのですが客席にいて落ち着きません。1階席なら良いかもしれませんが3階では吸い込まれそうな気になります。昨日遅かったので今日はサイン会も失礼して退場しました。2日間素晴らしい演奏に恵まれ上京した甲斐がありました。
 
 

歌舞伎とオペラ

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2012.10.3(金) 東京歌舞伎座  十月大歌舞伎 昼の部
 
イメージ 1オペラで上京するに合わせて新装なった歌舞伎座に行ってみたいと思っていましたが、チケットが取れずなかなか実現しませんでした。今回発売日の一番にアクセスしたら運良くつながり無事ゲットすることができました。
 
若い頃はちょいちょい観たのですがもう何十年も遠ざかっています。役者もすっかり代が変わって孫の世代になっていますから全て初めて観るようなものです。演目はともかく雰囲気を味わってきました。
 
新しい歌舞伎座は正面玄関など昔の面影を残していますが随分と大きくなったと思います。座席数が1800でコンサートホールと変わりありません。ロビーが狭いのと売店がデパートの特売場みたいなのにはがっかりしました。
 
歌舞伎に招待、団体客が多いのは昔からですが、この頃高級ホテルとグルメを合わせたツアーが話題になっていてあちこち広告を見かけます。
 
さて歌舞伎は字のごとく歌と踊りと演技の芝居です。これならオペラも同じで、しかも不思議なことに成立年代も1600年ごろと同じです。決定的に異なるのは、歌舞伎では役者が歌わないしオペラでは役者が踊らないことです。両者とも役者がやらないところは他の人が受け持ちます。こう考えると歌舞伎は観るものオペラは聴くものということがよくわかります。但し歌舞伎の伝統は変わらず受け継がれているのに、オペラの方は新しい見方で読み替える演出が増え観ないとわからないものもあります。しかし基本は変わらないと思います。
 
歌舞伎も変わったところがないわけではないと思いました。今の役者はテレビドラマとか映画に顔を出す人が多く、その所為とは言わないが、歌舞伎役者としての重み深みが薄くなったように感じました。人を笑わせるのは上手いが心に響く感動が少なかったです。歌舞伎を観る側も変わったと思いました。昔は一般のファンが天井桟敷の大向うから掛け声をかけたような気がしますが、私が観た日はそういうことがありませんでした。代わって専門のプロが(ゾメキ屋と言わなかったかしら?)ドア近くに立って頻繁に声を入れていました。観るものなら関係ないとは言え、慣れない私などうるさいと感じたほどでした。
 
チケットは取り難いがそれでもオペラに比べればかなりのエコノミー席が有り、当日一幕だけ観ることもできます。若いオペラファンを増やすには参考になるシステムだと思いますが如何でしょうか。
 
歌舞伎がはねた後合羽橋の道具街をまわってトリフォニーに行きました。これではぐったりするのも無理なかったです。
 
 

沼尻竜典オペラセレクション 「リゴレット」

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2014.10.11 (土) 14:00 びわ湖ホール大ホール
出演
リゴレット:堀内康雄イメージ 1
ジルダ:幸田浩子
マントヴァ公爵:福井 敬
スパラフチーレ:斉木健詞
マッダレーナ:谷口睦美
モンテローネ伯爵:片桐直樹、 ジョヴァンナ:小林久美子
マルッロ:清水良一、 マッテオ・ボルサ:二塚直紀
チェプラーノ伯爵:津国直樹、 同伯爵夫人:澤村翔子
マントヴァ公爵夫人の小姓:鈴木愛美、 門衛:江原 実
藤原歌劇団合唱部、日本センチュリー交響f楽団
指揮:沼尻竜典
演出:田尾下 哲
 
オペラを観る私の選択技は演目と歌手ですが、今回は完全に後者です。期待を裏切らず素晴らしい出来栄えでこんな清純可憐なジルダは観たことがありません。それにソリストすべての歌唱が聴き応えがあり観るより聴くオペラの感がありました。
 
幸田さんはレギュラーTV番組を持っていて大丈夫かと心配になります。その所為ではないでしょうが、レパートリーとしてツェルビネッタ、オランピアなどコロラチューラの軽い時間的にも短い役に限定してきました。今回は初めて全幕に登場するジルダです。無理に声を出そうとせずこれまで通り声の美しさを出そうと努めていたのが良かったです。他の人に比べ声量が小さいですが聴こえないわけではないので良しとしなければいけません。堀内さんは軽い役から重い役まで何でもこなせる日本を代表するバリトンです。リゴレットは道化、優しい父親、復讐する男、絶望する人間を演じなければなりません。派手に演技するわけでないのですが、常に安定した歌い方と力のある声に感激します。マントヴァ公爵の福井さんは個性的な歌い方で私の好みとは違いますがとても迫力がありました。その他で特に挙げれば、片桐さんが堂々とした身体で歌に威厳がありましたし、注目の澤村さんは見栄えする容姿で声も演技力もあるのでもっと歌って欲しいと望みます。
 
沼尻さんの指揮はオーソドックスで上手く統率していましたし、オケも合唱もよく応えていたと思います。敢えて注文を言わせてもらえば、起伏の大きさでしょうか、変化のあるメリハリがあると良いと思いました。
 
最後に演出ですが読み替えのない極く普通のものでした。ひとつ気づいたところはジルダが殺される場面で、殺すのはリゴレットが頼んだスパラフチーレでなく、リゴレットを憎んでいる大勢の貴族たちだったことです。マントヴァ公爵お抱えの道化として皆に憎まれているからそれもありと思いました。
 
舞台はスノボー・ハーフパイプ状の装置を分割したり組み合わせたりして場面転換を図っています。積み木細工みたいでよく工夫されてると思いましたが、上部がポカンと空いて貧弱に見えました。予算的制約があるとはいえ深刻な話に軽い舞台は合わないように思いました。 しかし外国でよくあるベッドが出てこなかったのは幸田ジルダにはとても良かったです。
 
総じて、音楽的には素晴らしいと思いましたが芝居のドラマ性に共感するには今一歩かと感じました。
 
 

モネ劇場Web-TV   リヒャルト・シュトラウス 「ダフネ」

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モネ劇場2014-15シーズン開幕9月公演
出演
ペナイオス:イアン・パターソン
ゲア:ビルギット・レンメルト
ダフネ:サリー・マシューズ
アポロ:エリック・カットラー
ロイキポス:ぺーター・ロダール
モネ劇場合唱団、管弦楽団
指揮:ローター・ケーニヒ
演出:グイ・ジョーステン
 
モネ劇場はリヒャルト・シュトラウス生誕150年を記念して「ダフネ」でシーズンを開幕しました。なかなか舞台には登らない作品で、日本では2007年二期会の公演が話題になったくらいです。TVとは言え珍しいオペラを素晴らしい歌手と面白い演出で見られたのは良かったと思います。
 
オペラハウスの正面玄関みたいに舞台中央の大きな階段が奥で左右に別れ、その後ろに巨大な月桂樹の幹が伸びています。(こんなに楠みたいに大きくなるかしら?) 劇場舞台の幅、高さを目一杯に使った大きな装置で照明によって美しく造られています。
 
グイ・ジョーステンはギリシャ神話の非現実的話をバブルに浮かれていた少し前の現実的社会に読み替えています。ペナイオスとゲアは株取引で大儲けをし享楽的生活を送っている夫婦ですし、羊飼いたちもおどらされてる一般人です。アポロはこの世界の権力を一手に収めた帝王でしょう。これに対してダフネはそういう生活に全く馴染めない乙女であり、ロイキポスも本来は素朴な人間なのにおどらされて一般人の仲間に入る青年です。中央階段は浮かれた世界、月桂樹は素朴な世界を象徴し、この二つを対比させています。
 
このオペラの注目点はダフネが月桂樹に変身する場面をどう描くかです。ジョーステンの解釈は月桂樹になるのは人間でなくなること、つまり死を意味してることです。この演出ではアポロが恋敵ロイキポスの殺害を後悔してダフネを諦め、一方ダフネは冷たくあしらったロイキポスの真心に打たれ自らも死を選ぶのです。このフィナーレが見応えがあり感動的でした。アポロが月桂樹の根元でうずくまり、ダフネは樹に登っていきます。すると炎が燃え上がり次第にダフネに迫っていきます。ダフネが月明かりに照らされる中最後の一言を歌って幕となるのです。
 
歌手も揃っていました。マシューズは力強い声でしかも恐いほど高い所で歌ったり吊り梯にぶら下がって歌うなどそれは大奮闘でした。ルックスもダフネの役柄に合って素晴らしかったです。カットラーは豊かな美しい声のテナーで本来の神アポロならもっと良かったと思います。この二人に比べるとパターソン、ロダールはちょっと大人しいが上手く歌っていたし、レンメルトは声に凄く重量感があり女賭博師みたいな貫禄がありました。TVで音のことを言うのは良くないですが、オケが豊潤華麗なシュトラウスの響きに聴こえなかったのが惜しいかなといった感じです。
 
モネ劇場はシーズン演目を順次オンデマンドで観ることができます。これからストリーミングでは7月のラフマニノフ「トロイカ」が楽しみです。
 
「ダフネ」は10/21まで観られますので関心のある方はこちらからご覧ください。
 
 

音楽と書、音楽と料理

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今日はちょっと変わった話です。
 
書は視覚芸術の中で音楽と共通点があります。ただしここで言う書とは連綿帯の漢字とか仮名のように伝統的なものです。少字数の絵のような書は含みません。この2つが似ているのは1回限りで同じものが2度とできないし、作品に流れがあるところです。音楽では一旦出した音はそのまま聴く人の耳に届いてしまいます。書も一度筆をおろして書き始めれば絵のように上塗りできず修正が効きません。両者とも一発勝負です。また時間的流れがあり、その中に必ず変化があります。こういうところが似ていて好きです。
 
芸術以外の分野でも似ているものがあります。それが料理です。楽譜やレシピと言った基準になるものがあるのに再現すると2度と同じものはできません。聴いたり食べ終わった時点で消えてしまい、記憶に残るものは人それぞれです。
 
音楽家の中には料理の得意な人が多いようです。ロッシーニなど30歳そこそこで作曲をやめてしまい、その後は料理で過ごしたなんて有名な話があります。それは置いとくとしても今日の演奏家には仕事の都合上あるいは若い人では留学など単身生活を強いられることも多いと思います。それでは生活上の必要から料理に関心を持たざるを得なくなるでしょう。でも音楽と料理に向かう姿勢が似ていることもあるのではと想像します。
 
私は書の方は若い頃かなりの期間やって少しは分かりますが料理は全く経験がありません。音楽は楽器が何もできずただ聴くだけですが、料理ならやって出来なくはないです。音楽家と音楽に対する気持ちが多少なりと共有できればと出鱈目な考えですが楽しくやってみようと思っています。時間もあることですし。
 
 

名古屋二期会「こうもり」 オペラ・トーク

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2014.10.22(水) 19:00 愛知県芸術劇場小ホール
出演
<講師>三浦安浩イメージ 1
<進行>広渡 勲
<実演>天野久美(s)、奥村昌平(br)、池原陽子(p)
 
名古屋二期会が年末に「こうもり」を上演します。その演出を担当する三浦さんを講師に招いてのオペラ・トークです。進行役は元NBS(日本舞台芸術振興会)で多くの海外オペラの招聘をされた広渡さんでした。
 
カルロス・クライバーと特に進行の深かった広渡さんですし、クライバーが得意にした「こうもり」ですから、今度の演出だけでなく幅広い話が聞けるのではと出かけました。
 
話に入る前に「こうもり」のビデオが3本、ほんの少しずつ紹介されました。2001年ザルツブルク音楽祭におけるノイエンフェルスのスキャンダラスな舞台、オットー・シェンクとクライバーによるバイエルンの舞台、それに2011年広渡さんが自ら演出された佐渡裕プロデュースオペラです。この紹介の意味するところはどこまで新しい解釈をするかということと日本語をどう扱うかということです。以下ポイントだけ記します。
 
(1)オペレッタが生まれた理由は面白くすることと一般市民の中に入っていくことの2つ。「こうもり」が初演されて140年経った今の人々にとってもそう思わせることが演出の役割である。したがって今日の観点で過去を再現するためにいろいろ考え新しい工夫を取り入れた。
 
(2)今度の演出についてもちろん詳しくは話されなかったがポイントは次のようです。
①ビリヤード台が舞台に上がる。(シュトラウスもやったことがあるそうです)
②シャンパンの泡のように消える。(時代の変化?)
③台詞の一部に日本語を使う。
④<雷鳴と電光>に代わり「ばらの騎士」のワルツを使う。(「こうもり」も「ばらの騎士」も夫婦愛の話)
 
(3)私は観ていませんがザルツの「こうもり」では演出とミンコフスキーの音楽が合ってないとも聞きました。三浦さんは今回の演出にあたって指揮の飯守さんとよく意見交換され合意されてるそうです。
 
(4)広渡さんの話で面白かったこと
①1994年ウィーン国立歌劇場公演では「ばらの騎士」と「こうもり」が入っていたが、クライバーがばらだけでなくひょっとして「こうもり」も振ってくれるのではとの思惑があったこと。
②1988年スカラ座公演「椿姫」では食べ物飲み物すべてが本物であったこと。
 
(5)リハーサルの模様
現場はかなり混乱してるそうですから随分と変わった演出のようです。
 
歌ってくださった2幕<時計の二重唱>は多分意識されてのことと思いますが本番の様子があまり分かりませんでした。奥村さん天野さんはAキャスですが、私は12/7のBキャスの方に行きます。「こうもり」は笑えることが第一。どんな演出か楽しみに行きます。
 
 

愛知祝祭管弦楽団 ブルックナー交響曲第8番ほか

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2014.10.26(日) 13:30 愛知県芸術劇場コンサートホール
曲目
ワーグナー:楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲
バッハ:2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043(V:古井麻美子、清水里佳子)
ブルックナー:交響曲第8番ハ短調(ハース版)
演奏
福島章恭(指揮)、愛知祝祭管弦楽団
 
まこと稀有な感動的ブルックナーでした。アマオケですが感動は最近のプロ以上と断言します。
 
愛知祝祭管弦楽団は2005年愛・地球博の年に愛知万博祝祭管弦楽団として発足。その後プロジェクト毎に名称が変わっていきますが、取り上げるのは演奏される機会の少ないマーラーなど大曲ばかりです。特に昨年の「パルジファル」(演奏会形式)の成果は各方面で注目され、名古屋音楽ペンクラブ賞をプロに混じって受賞していますし、今年の新国「パルジファル」プログラム<日本における上演史>の中にも明記されています。今回は愛知祝祭管弦楽団と名称を変更した旗揚げ公演になりました。
 
ブルックナーは長く教会にいて宗教曲が多いですが交響曲の響きも教会を念頭に置いてるように思います。(トレモロやゲネラル・ポウゼはその理由?) したがってあまり鮮明な輪郭があるよりも多少モヤっとした神々しい響きが大事と思います。このブル8は精神性の高さにおいては並ぶものがないと私は思っています。
 
この演奏で一番感動したのは魂の入った音がビンビンと迫ってきたことです。コンマスは必死の様相でフォルテシモなど椅子から飛び上がる程熱が入っていました。最近の演奏は私の好きなブーレーズもティーレマンもブル8に関する限りあまり感心しません。どこか明晰とか作為を感じてしまうからです。過去を振り返ると朝比奈隆まで遡らないと感動した演奏がありません。(少ない経験ですが) 
 
指揮の福島さんは音楽評論でも宇野功芳と共著があるそうです。ワルターの信奉者であり朝比奈隆の共感者でもあるからその人と仕事をされる指揮者が即物的音楽をするはずはありません。弦がちょっと少なく見えたオケですが、ゆっくりしたテンポで低音を効かせ音量不足は感じませんでした。力を抜かない丁寧な音で大河のような流れ、分厚い音で滑らかに盛り上がるクレッシェンドは物凄くチェリビダッケを思い起こしました。また各楽章とも曲を閉じるときが最も強烈に残っています。
 
ブルックナーばかり書いてしまいましたがプログラム構成もなかなか良かったです。祝典開幕としてマイスタージンガーはふさわしい曲です。アンコールに見るような豪快というより、音量を多少控えて美しくバランスのとれた儀式的演奏のように感じました。ところが前奏曲が終わりかける頃オルガン席で聴いていた人達が一斉に立ち上げり中央の方に集まってきました。何が起きたかと思いきや1幕冒頭の合唱が始まったのです。これは面白いサプライズ企画でした。
 
大編成の曲に挟まれたのがバッハのダブルヴァイオリン協奏曲。中部フィルで一緒の二人ですから息も合いふわっと柔らかく優しい演奏でした。ブルックナーが余計引き立った感じです。
 
なんと3時間近い長いコンサートでしたが会場は終始静まりかえって聴き入っていました。少し空席がありましたがこれは絶対聴くべき演奏と思いました。
 
来年以降の計画も明らかになっています。2015年はマーラーのカンカータ「嘆きの歌」など。2016年からは4年かけリングのチクルスが始まります。指揮は三澤洋史さんですし本当にすごい楽しみです。
 
 

愛知県立芸術大学学園祭オペラ  林光 「べっかんこ鬼」

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2014.10.31(金) 16:00 大学内 奏楽堂
出演
イメージ 1愛知県立芸術大学オペラ工房部員
指揮:小島岳志
演出:堀口文成
 
オペラ工房は県芸大のサークル団体です。歌手、オケ、衣装から装置など一切を1~4年の学生部員が先生の指導を受けて担当しています。(一部賛助あり) 学園祭行事の一環として毎年行われ、今年は日本のオペラでした。
 
林光は日本語の台本に音楽をつけた多くの作品を残しています。それらは主にオペラ団体こんにゃく座によって上演されています。
 
「べっかんこ鬼」はべっかんこ面をした鬼と盲目の少女ゆきの物語です。二人とも周りから嫌われている存在で、ある日鬼がゆきを山の中へさらっていってしまいます。はじめは怖がり嫌がっていたゆきですが、次第に鬼の優しさに触れ、夫婦になって山で暮らすようになります。ゆきは夫の顔を見たいと思い、鬼もその望みを叶えてやりたいと、治す方法を山の母に聞きに行きます。山の母は薬草が一つあるがそれを手に入れると死ぬことになると言います。鬼はそれでも助けたいとその薬草を取って家に帰ります。目の治ったゆきが見たものは鉄砲で打たれた瀕死の鬼だったという話です。
 
社会的には同和問題も絡んでいるかもしれませんが、それより単にハンディーを持ったものの心の優しさを美しく描いたと思いたいです。形に惑わされるな、或いは見ない方が(知らない方が)かえって幸せと言ってるようにもとれます。これは「夕鶴」とも似て、見たいと思わなければ悲劇にならずにすんだわけです。日本的情緒の深い童話です。
 
舞台は樹木の形をしたボード6枚を上手く組み合わせて森の中とか洞窟を創っています。照明を消すだけで場面転換をしますが、ほんのり明かりが残って舞台裏の様子が見えたのはかえって面白かったです。それに風の歌い手たちがローラースケート(片方だけですが)に乗って舞台を走り回るのは若い学生ならではと思いました。
 
歌手の方々はみんな大健闘でした。丁寧に歌っていたし声量不足はあるものの聴こえなくはないし、何より言葉が日本語公演には珍しいほどよく分かりました。
 
オケも素晴らしかったです。コンマスこそ先生でしたが皆さんとても上手かったです。25名ほどの室内オケでしたが低音が効いて厚みも感じられました。この作品元々はピアノ伴奏だそうで、今回わざわざオケ版に編曲したというのです。もちろんこれも学生の仕事です。オペラはやはりピアノよりオケで聴きたいと思いますから。
 
県芸大は愛知万博の西側、山の上にあり周囲から隔離された静かな環境にあります。リニモの駅芸大通から坂を登ること10分、若い学生には丁度いい運動かもしれませんが年配者にはかなりきつい。シャトルバスの利用がベターです。850名収容の奏楽堂は入学式などにも使われるそうです。オペラやオケには丁度良い大きさで聴き易く観易いホールでした。
 
 

BSO-ウェブTV  ヤナーチェック 「マクロプロス事件」

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2014.11.1(土) 18:00(CET) BSOライブ(日本向け再放送 11/2 19:00)
出演
エミリア・マルティ:ナージャ・ミハエル
アルベルト・グレゴル:パヴェル・チェルノホ
ヴィーテク:ケヴィン・コナーズ
クリスタ:タラ・エロート
プルス男爵:ジョーン・ルンドグレン
ヤネク:ディーン・パワー
コレナティー博士:グスタフ・ベラチェク
バイエルン国立歌劇場合唱団、管弦楽団
指揮:トマース・ハヌス
演出:アールバード・シリング
 
バイエルン国立歌劇場のシーズンは9月からですが、TV放送はこの新制作「マクロプロス事件」が最初になります。再放送の方を観ました。
 
このオペラは話が複雑すぎて理解できません。超簡単に言ってしまえば、不老不死の薬で300年も生かされている歌手エミリアが遺産相続の争いの中で色仕掛けでその処方箋を手に入れようとします。で結末は「300年も生きる意味はなく死ねるのが幸せ」と言ってその書類を若い歌手クリスタに託します。彼女が燃してしまうとエミリアの長い命も絶えるという話です。沢山の人が登場しますが彼等は特別の性格を与えられてるわけでなく、単にエミリアに振り回されてるだけです。ですから裁判争いは背景に過ぎず基本はエミリアの生き方だけが描かれていると思います。
 
舞台は現代に置き換わっていますがかえって鮮烈な印象を与えます。ヨーロッパのことですからもっと過激なエロい演出かと思いましたが、TVに流しても問題ない節度を保っていました。最大のポイントは最後の解釈を逆転させてることです。エミリアの本当の姿を知った人々は彼女を哀れむどころか拷問をかけて処方箋を奪い取り、それを受け取ったクリスタが大喜びしています。人はいつまでも長生きしたいものと言ってます。(他人に何の面倒もかけなければいいのですがね。)
 
という訳でこのオペラは1にも2にもエミリアです。ナージャ・ミハエルは誠に素晴らしい理想的なエミリアでした。スタイルも完璧、大胆な衣装もよく似合い、冷たい雰囲気も漂わせ(艶っぽのはダメ)、演技も上手く、声も強い。こんな人は他にはいないのではないでしょうか。そのほかプルス男爵のルンドグレン、悪役タイプですが大柄で存在感があり声も力強く素晴らしい。またグラインドボーンで中傷されたエロート、ここでは可愛らしいクリスタで良かったです。カーテンコールは勿論ナージャ・ミハイルの独占的大喝采でした。
 
オケも良かったと思います。しかし私はヤナーチェックの音楽に馴染めません。スラブやボエミアの隣りモラヴィア出身なのにかなり違った感じがします。いっそのこと親しみ易いメロディーのない点では同じのベルクの方がまだ聴きやすいのですが。
 
相変わらず字幕が読みづらいのが改良されていません。(黒いバックに紺の字がわかりますか?) 次回のオペラ放送は2月2日(月)19:00から。(日本向け放送) ダムラウのルチアです。これは必見。
 
 

愛知県立芸術大学学園祭  「コジ・ファン・トゥッテ」(抜粋版)

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2014.11.2(日) 15:00 大学内 室内楽ホール
Teatro alla Montagna 第1回公演
出演イメージ 1
ドン・アルフォンソ:初鹿野 剛 (賛助) ほか
県芸大大学院生、学部生のメンバー
 
金曜日から開催されている学園祭の最終日。先日のオペラ工房は学部、こちらは大学院中心の公演でした。
 
ピアノ伴奏、舞台装置なし、衣装もドレスとスーツでしたが演技は客席フロアーまで使って本格的でした。楽譜をおいた演奏会形式とは違って芝居として楽しく観ることができました。原語で字幕なしですが、ところどころに日本語の台詞を面白く挿入して知らない人でも充分分かったと思います。
 
音楽的にはやはり学部公演よりレベルが一段高い好演でした。フィオルディージとデスピーナのソプラノは途中で交代しましたが、それ以外は一人で演じきりました。今年4月から准教授に就任された初鹿野さんは当然別格の歌唱でしたが、学生のみなさんがたも大変良く頑張っていました。一般の公演でもよくあるように後半の方が声がよく出ていたと思います。欲を言えばですが歌だけでも難しいのにそれに演技まで付けるのは大変だったと思います。今後の成長には声だけでなく感情を込めた表現力を磨いて欲しいと感じました。
 
県芸大音楽学部の建物は昨年新築されたばかりでこの室内楽ホールは素晴らしい。木の柱を立てかけたような壁が上に向かって狭くなり教会みたいな感じがします。200名少々のシューボックスタイプで音響も良いです。交通の便が良ければ一般公演にも使って欲しいと思うホールでした。
 
一生懸命の若い人を観るのは気分がいい。機会があれば他の大学にも行ってみたいと思っています。
 

名古屋市民コーラス創立55周年記念 ベートーヴェン 荘厳ミサ曲

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2014.11.8(土) 16:00 名古屋市民会館大ホール
~内なる平安と外なる平和のために~
出演
ソプラノ:金原聡子
アルト:相可佐代子
テノール:中井亮一
バス:伊藤貴之
名古屋市民コーラス(合唱指揮:長谷順二)
名古屋フィルハーモニー交響楽団(ヴァイオリン独奏:田野倉雅秋)
指揮:山下一史
 
同じ演目が続くことがよくあります。第9と共にベートーヴェンの最高傑作と言われながら演奏される機会はそんなに多くありません。それを先月新日本フィル定期に続いて聴くことになりました。
 
名古屋市民コーラスは労音に端を発する古い団体です。毎年宗教曲やオラトリオなど大曲に挑戦していますが、今回創立55周年記念として初めて荘厳ミサ曲を取り上げました。
 
正に荘厳な精神性の高い演奏でした。ソリスト、合唱、オケの3者がよく溶け合った感動的演奏でした。
 
4人の独唱者は素晴らしかったです。金原さん中井さんが純粋な声、相可さん伊藤さんが温柔な声と高低それぞれが似た声だったのも良かったと思います。個別には金原さんはしばらく聴いていませんでしたが高音の透明さに軟かさが出たように感じました。また相可さんは宗教曲にはビブラートがちょっときついかなと思いますが重唱は良かったです。中井さんはいつもの輝かしい声がひときわよく通りましたし、伊藤さんは温厚な落ち着いた歌唱が印象に残りました。独唱ではそれぞれ自分の長所を出し、重唱ではアンサンブルに心掛けていることが分かりました。
 
指揮の山下さんとこの合唱団のつながりは20年にもなるそうです。200名を超す合唱団が舞台に並んだ姿は壮観ですが、一見年配者が相当多いように見えました。アマチュアの場合は技術以上に気持ちを合わせるのが大事なのでその点良かったのではと思います。男女比率が1:2、男声が真ん中でしたが見た目も声量もアンバランスを感じませんでした。練習をよく積んだことが分かります。
 
名フィルは管が上手くなりました。弦にもう少し厚みが出ると申し分ないのですが、それでも今回の演奏は派手に抜きんだところがなくよく統一が取れていたと思います。うっとりした田野倉さんのヴァイオリン・ソロも座ったままでしたし、アニュス・デイのトランペットも控えめでした。
 
この演奏は山下さんの手腕が大きかったと思います。迫力があるのですが決して豪快な音ではありません。テンポはややゆっくりめで1音1音にアクセントをつけるところが多く、それがあたかも人の幸福への思いが深く詰まったように感じました。ここに一番感動しました。
 
ティーレマンのドレスデン陥落記念演奏会で曲が終わったあと黙祷を捧げる映像を見たことがあります。そういう特別な場合を除いてはコンサート会場での拍手は普通のようです。出演者がお互いを讃え合っていては拍手も自然のことに思えます。ただブラボーはないと思うのですがどうでしょうか。
 
演奏自体は感動の残るものでした。
 

愛知県立芸術大学管弦楽団 第25回定期演奏会

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2014.11.20(木) 19:00 愛知県芸術劇場コンサートホール
曲目
湯浅譲二:オーケストラの時の時
マーラー:交響曲第9番 ニ長調
出演
愛知県立芸術大学管弦楽団(コンサート・マスター:デヴィッド・ノーラン、ヴィオラ:百武由紀 ほか)
指揮:外山雄三
 
県芸大オケは過去何回も聴いたことがあります。楽員が毎年かなり入れ替わるのにレベルは段々上がっているように思います。それだけ音楽をする人の底辺が拡がっているのでしょう。今回大編成の大曲なので楽しみに行ってきました。
 
今年文化功労賞を受賞された湯浅譲二氏は武満徹と共に日本の現代音楽をリードしてきた作曲家です。二人とも作曲を独学で勉強されたそうです。クラシック音楽界では稀有な方ですが作曲家には変わり種が多いみたいです。湯浅さんは医学部ですし、吉松隆さんや新実徳英さんは工学部で不思議なことに理系出身です。五線紙の上に音符を書き込む仕事は特にオケ曲の場合感性だけでなく数学的思考も必要なのかもしれません。
 
「オーケストラの時の時」は初めて聴きますが情緒など全く無い曲でした。それぞれの楽器が競争して自己主張したり、森進一ばりの唸った音を長く長く流したりします。メロディーがなく音の響きだけです。それも耳が痛くなるほどの大音響が頻繁に出てきます。特に第2楽章は雅楽をPAで最大に拡大したようなフィナーレで、緊迫した映画の場面を思い浮かべました。
 
この演奏の後ではマーラー9番も実に大人しく聞こえてしまいます。一時期マーラーに嵌った私ですが、誇張に抵抗を覚えるようになり今はほとんど聴きません。でも9番は終楽章がこの上なく美しく深い感銘を受けます。始めのうち前の演奏で気が緩んだのか個々にはきちんと弾いてるのですが全体としてのまとまりが今一歩という感じでした。しかし第4楽章は心底感動しました。ノーランさんのヴァイオリンや百武さんのヴィオラはもとより各パートのソロも素晴らしく会場は静まり返っていました。ただ演奏を終えた外山さんが早く手を下ろしたためすぐさまブラボーが出たのは興ざめでした。消え入るように終わるのだからもっと余韻に浸っていたかったです。
 
なお、湯浅さんは開演に先立ちステージで解説をされました。この作品はどこまで複雑に書けるかその限界を試みたと話しておられました。そんな難しい曲が演奏できるオケは本当に上手いものだと感心します。もうプロ・オケと遜色なく聴けると思います。また湯浅さんはその立派な地位にも拘らず、人柄がとても良さそうな好々爺でロビーでは学生たちと気安く話を交わされていました。
 
 

名古屋二期会定期公演 喜歌劇「こうもり」

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2014.12.7(日) 14:00 愛知県芸術劇場大ホール
出演
アイゼンシュタイン:井原義則、ロザリンデ:岩田千里、アデーレ:水谷映美
ファルケ:松下伸也、オルロフスキー公爵:奥野靖子
フランク:田辺とおる、フロッシュ:大嶽隆司  ほか
名古屋二期会 合唱団&オペラ管弦楽団
指揮:飯守泰次郎
演出:三浦安浩
 
飯守さんのオペレッタってどんなだろうと先ず興味が湧き、一足先にヨーロッパの年越し気分に浸れたらと出掛けました。名古屋二期会は40年記念で「ラ・ボエーム」を上演してからここ3年喜劇が続いています。「こうもり」はよく上がる演目なのに名古屋二期会は1989年のニューイヤー・オペラ・コンサートとして演奏会形式で行っただけで本舞台はこれが初めてだそうです。オペレッタは歌唱だけでなく演技力も求められるので難しいのは確かです。
 
総合的にはプロとは言えこれが地方オペラの実力かなぁという感じでした。昨年の「セヴィリアの理髪師」と比較しても今ひとつ楽しめなかったです。
 
第1は演出、大きな読み替えはないのですが小細工が目立ちます。舞台中央にビリアード台、奥に大きな時計のかかった小部屋、左右は数段上がった踊り場になって、上手下には檻が見える。アイゼンシュタインの居間、舞踏会場、刑務所長室を一つにした舞台で、ビリアード台がテーブルになるなど全て小道具だけで変化をつけています。まずこれが不自然。それに享楽的世界を蝶をまとった美女で表したり、国際的雰囲気を出すため舞踏会に和服で踊らせたりします。解釈ではロザリンデに子供がいたり、ロザリンデの前でアイゼンシュタインとアルフレードが鉢合わせたり(1幕で)、罠の見物にオルロフスキーとファルケがしばしば舞台に現れたりします。これってどれだけ意味があるかと疑います。音楽面でも1幕に「椿姫」を、2幕では「ばらの騎士」を入れたりします。それをやるにしても<雷鳴と電光>をやめることはないと思います。
 
といった具合で小細工をすることがかえって裏目に出てると思います。「こうもり」では笑えることが第1です。これをやって面白さが増したことはありませんでした。ザルツブルクの「こうもり」は極端な例ですがオペレッタを観念的にひねくり回すのはどうかと思います。
 
これは演技する歌手側の問題でもあります。舞台の動き演技に軽快さがありませんでした。演出家の考えを受け入れるとしてもそれを面白く演ずることが出来れば良かったのですが、残念ながらほとんどの人が出来ていませんでした。個々の場面だけでなく、音楽のない部分、例えば歌唱から台詞に入る時とか、演技者が入れ替わる時など芝居が途切れてしまいます。歌手が芝居に慣れていないこともあるでしょうが、演出家の要求が消化されていない感じがしました。
 
歌唱の方はそれなりの出来だったと思います。しかし役柄の点で井原さんは真面目過ぎ、岩田さんは暗く重い声、水谷さんはゆったりした動きでそれぞれ似合ってるとは思えませんでした。面白かったのは歌わないフロッシュの大嶽さん、この時ばかりは客席から笑い声がしました。歌唱では田辺さんが良かったです。
 
飯守さんの指揮はワーグナーを思わせるようなところがあちこちに見られました。軽快に飛ばすことも面白いニュアンスを出すこともありませんでしたが、リズミカルな面はきちんと出て、音楽的にオーソドックスな演奏かと思いました。でも挿入された「ばらの騎士」では音がガラリと変わり、本領はやはり純ドイツ音楽にあると思いました。
 
この日は2日目、Bキャスの方でしたが初日の感想はどうだったでしょうか。客の入りは初日の方が良かったようです。いずれにしても歌手がもう少し若返らないでしょうか。層の厚い東京のようにはいきませんが若い人がもっと活躍できるようになって欲しいと思いました。
 
 

鈴木雅明チェンバロ&オルガン・リサイタル

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2014.12.14(日) 15:00 豊田市コンサートホール
クリスマス・コンサート
出演
チェンバロ&オルガン:鈴木雅明
声楽アンサンブル(コラール):澤江衣里(S)、布施奈緒子(A)、藤井雄介(T)、渡辺裕介(B)
曲目
[チェンバロ]
J.S.バッハ:プレリュードとフーガ ハ長調 BWV846
                3声のリチェルカーレ<音楽の捧げもの>
J.C.F.バッハ:<明日はサンタがやってくる>に基づく18の変奏曲
J.S.バッハ:半音階的ファンタジアとフーガ ニ短調 BWV903
[オルガン]
J.S.バッハ:プレリュード 変ホ長調 BWV552/1
コラール<いざ来たりませ、異邦人の救い主> 同オルガン曲 BWV599
コラール<ベツレヘムにひとり子生まれたまいぬ> 同オルガン曲 BWV603
コラール<いと高きところにては、ただ神にのみ栄光あれ> 同オルガン曲BWV663
コラール<おお、愛らしきイエスよ>
コラール<甘き喜びのうちに>
J.S.バッハ:パストレッラ BWV590
               フーガ 変ホ長調 BWV552/2
(アンコール) <もろびとこぞりて>     
 
 
鈴木先生の当ホールでのコンサートはこれが3度目。最初はBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)を率いてヘンデルのメサイア、2度目はオルガン・リサイタルでしたが、いずれも10年もむかし当ブログ開設以前のことです。
 
プログラムの構成が珍しかったです。コンサートホールでチェンバロとオルガンを同時に聴くことも、教会以外でコラールをまとめて聴くことも少ないと思います。何か3つのコンサートをひとつにしたような感じでした。
 
チェンバロの響きは心地よいしその上大きなホールでは音が小さいので眠くなってしまいます。しかしよく耳にする曲だったので集中して聴きました。ピアノで弾くことが多いと思いますが、バッハの時代に今日のピアノはないのでこれが本来の音です。先生のチェンバロは曲ごとに優しかったり、敬虔だったり、軽快だったり、迫力があったりで変化があり趣向に富む音楽でした。
 
休憩後オルガンが鳴るとその音の大きさにびっくりしました。これも狙いだったかもしれません。プログラムの解説によれば、バッハ時代の礼拝はオルガン演奏によるプレリュードで始まりフーガで終わったのだそうです。その慣例に従いコラールを中に挟んだ演奏でした。BCJメンバー中心の声楽アンサンブルは美しいハーモニーの中からソプラノとテノールの清らかな声が飛んできました。
 
年末はベートーヴェン第9とヘンデルのメサイアばかりですが私はまず聴きません。バッハなら聴きたいです。マタイこそ最高の音楽と思っていますが鈴木先生はライプツィッヒでも演奏されています。サイン会の時お尋ねしたら通算70回程マタイを演奏してらっしゃるそうです。でもヨーロッパでは300回もやってる人がいるそうでさすが本場だと思いました。
 
イメージ 1
 
 
 

アリーナ・イブラギモヴァ バッハ無伴奏ヴァイオリンソナタ&パルティータ全曲演奏会

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2014.12.23(火祝) 14:00&17:00 電気文化会館ザ・コンサートホール
曲目
第1部(14:00)
バッハ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 ト短調 BWV1001
                      パルティータ第1番 ロ短調 BWV1002
                                     ソナタ第2番 イ短調 BWV1003
第2部(17:00)                 
                                     パルティータ第2番 ニ短調 BEV1004
                                     ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005
                                     パルティータ第3番 ホ長調 BWV1006
(アンコール)         ソナタ第2番第3楽章
 
 
今春イザイの無伴奏ソナタでショックを受けて以来バッハを楽しみにしていました。ベートーヴェン、イザイ、バッハとも全曲の一気演奏は彼女の専売特許みたいです。マタイと双璧をなすバッハの最高傑作を1日で聴くというのは恐らく最初で最後の機会でしょう。私には珍しく早々とチケットを確保したくらいです。やはり人気が高く満席でした。
 
誠に素晴らしいバッハでした。アリーナ・イブラギモヴァはまだ20代なのに読みの深い個性的な演奏に驚かされます。彼女のバッハは壮重哲学的でもなく、情緒的でもなく、また技巧を誇示するものでもありません。極めて明晰、簡素、純粋にして統一感のある詩情を漂わせていました。イザイでは力強さが出ていましたがバッハでは強弱の差が大きいもののむしろ寂しさとか優しさの方が前面に出ていたと思います。
 
全6曲どれも優劣つけ難い作品ですが、アリーナは6曲をひとつの作品のように捉えていた気がします。フィナーレをピシッと決めるのでなく次の曲につなげるように軽くあるいは静かに消えるように終えていたように感じました。例えば有名なシャコンヌなど控えめで単独で演奏したらこうは弾かないであろうと思いました。そういうこともあってか特に印象に残ったのは最初のソナタ1番と最後のパルティータ3番でした。ソナタ1番は緩急の対比が面白く、緩徐楽章ではテンポが遅め、弱音のフレーズを念入りに弾いていました。それが感情的にならず詩を朗読してるような雰囲気でした。パルティータ3番はガラッと変わって明るく優雅で軽快です。ガヴォットはスタッカートを効かせ、ジーグは飛ばしに飛ばしこんなの歯切れの良い快速なフィナーレを聴いたことがありません。
 
アリーナのバッハは徹底したノンヴィブラートでした。テクニックではヒラリー・ハーンに及ばないですが楽想の解釈は素晴らしいです。イザイにはイザイのバッハにはバッハの音楽があり、それを明確に分けて表現できるテクニックと知性感性を持ち合わせているのが凄いところです。来秋にはモーツァルトに取り組むそうでまた一味違った演奏が聴けるのではと心待ちにしたいと思います。
 
前回のイザイでは譜面台がありましたが今度は暗譜。途中2時間弱の休憩を挟んで6時半の終演。若いとは言え長時間の緊張を持続するのはさぞきつかったことでしょう。その後にはサイン会。アリーナ、ほんとにお疲れ様でしした。また1年後に会いましょう。
 
今年のコンサートはこれで打ち上げです。この1年拙文にお付き合い頂きましてありがとうございました。どうぞよいお年をお迎えください。
 
 
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